会寧府(読み)かいねいふ(英語表記)Hui-ning-fu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「会寧府」の意味・わかりやすい解説

会寧府
かいねいふ
Hui-ning-fu

中国朝初期の首都上京 (じょうけい) 会寧府。按出虎水 (阿什河〈アシホ〉) 流域平野の中心に位置し,渤海 (ぼっかい) 国のとき海古勒地という。金朝を興した女真の完顔氏の根拠地で,収国1 (1115) 年の金朝成立後,燕京 (えんけい) 遷都までの首都。按拙虎,阿朮滸 (ともに女真語で金の意) ,またそれを漢訳した金源の名で呼ばれ,第2代太宗のとき会寧府となり,第3代煕宗のとき上京と号した (38) 。第4代海陵王は貞元1 (53) 年燕京に遷都して上京の号を削除,大定 13 (73) 年第5代世宗のとき上京の号を復活し,金国の発祥地として尊奉された。元代に廃虚化し,現在の黒竜江省哈爾浜 (ハルビン) 市南東約 30km,阿城県南に土壁のみの故城が存在。俗称を白城または敗城という。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「会寧府」の意味・わかりやすい解説

会寧府
かいねいふ

中国、金(きん)朝の首都。その遺跡は黒竜江省ハルビンの南東30キロメートルの阿城県にある。1115年金朝の太祖阿骨打(アクダ)がここに都を置いて以来、第4代の海陵王が燕京(えんけい)(北京(ペキン))に遷都するまで約40年間首都であった。国初には按出虎(アルチュフ)とよばれたが、第2代太宗の時代に会寧府と改められ、1138年第3代煕宗(きそう)の時代に上京会寧府と称された。

若松 寛]

『村田治郎著『満州の史蹟』(1944・座右宝刊行会)』

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旺文社世界史事典 三訂版 「会寧府」の解説

会寧府
かいねいふ

金朝発祥の地で,1115年から53年までの金の首都。上京ともいう
第4代海陵 (かいりよう) 王の中都(現在の北京)への遷都で首都の使命を終えた。現在の中国黒竜江省ハルビン南東の阿城県白城はその遺跡。

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