煕宗(読み)きそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「煕宗」の意味・わかりやすい解説

煕宗
きそう
(1119―1149)

中国、金の第3代皇帝(在位1135~49)。阿骨打(アクダ)の孫。父は宗峻(そうしゅん)。女真(じょしん)名は合剌(コウラ)。諱(いみな)は亶(たん)。即位すると劉予(りゅうよ)の斉(せい)国を廃止し、宋(そう)との和議を進め、淮水(わいすい)と大散関とを結ぶ線を国境とし、宋と講和を結んだ。1137年国史の編修を始め、女真小字を公布する一方、官制、礼制、儀制、服制などの制度を中国風に改めた。すなわち、これまで最高の政務執行機関であった勃極烈(ボギレ)制を廃止し、これにかえて中書門下、尚書の三省を金国の政務執行機関とした。そして最高の政策決定機関として領三省事を三省の上位に置き、三省を総領させた。また経義、詞賦両科によって官吏をとる科挙制を採用し、殿前都点検司を置き、百官の参朝に朝服を用いさせるなど、制度の中国化を進めた。彼は皇統(1141~49)初年に精神に障害をきたし、理由もなく側近を殺して人心を失い、49年海陵王に殺された。

[河内良弘]

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