会稽の恥を雪ぐ(読み)かいけいのはじをすすぐ

故事成語を知る辞典 「会稽の恥を雪ぐ」の解説

会稽の恥を雪ぐ

ひどい屈辱を、きれいさっぱり晴らすことのたとえ。

[使用例] 断行派が二年の後をち、けんちょうらいして会稽の恥を雪ごうと期したのはもっと至極の事である[穂積陳重*法窓夜話|1926]

[使用例] 源九郎のそういう復讐の念は「会稽の恥を雪ぐ」覚悟というのだそうである[井伏鱒二*さざなみ軍記|1930~38]

[由来] 「史記えつせい」に見える話から。紀元前五世紀のこと、中国の南東部にあった越という国の王、こうせんは、隣国との戦いに敗れ、会稽山という山に追い詰められました。いったんは死を覚悟した勾践でしたが、補佐役のはんれい助言に従い、恥を忍んで降伏を申し出て、生きてとらわれの身となります。後に釈放されて越に帰ってからの勾践は、食事のたびに苦いきもをなめながら、「汝は会稽の恥を忘れたるか(おまえは会稽山での屈辱を忘れてはいないな)」と自分に問いかけて、あのときの悔しさを忘れないようにしていました。そして、范蠡助力も得ながら、必死になって国力の充実に努め、会稽山での屈辱から実に二一年後、ついに呉を滅ぼしたのでした。「雪」は、ここでは、きれいに取り除くことを表しています。

[解説] ❶食事のたびに苦い味をなめて苦い思いをし、さらに二〇年以上かけて雪辱を果たしたという、越王勾践の執念が印象的。屈辱を晴らす執念を表現したいときに使うと、効果的です。❷この話は、日本では一四世紀後半の「太平記―四」で長々と紹介されていて、有名。ちなみに、范蠡はこのあと、勾践は平和な時代に仕えるべき王ではないと見抜いて、越を去り、「陶朱の富という故事成語で知られる大富豪となった、という話が伝わっています。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「会稽の恥を雪ぐ」の意味・わかりやすい解説

会稽の恥を雪ぐ
かいけいのはじをすすぐ

敗戦の屈辱を晴らすこと、また名誉の回復をいう。中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)が呉(ご)王夫差(ふさ)と浙江(せっこう)省紹興(しょうこう)市の南方に位置する会稽山に戦い、そこで包囲されてやむなく屈辱的な講和を結ぶという辱めを受けた。これが「会稽の恥」である。その後、勾践は賢臣范蠡(はんれい)の助力を得るとともに、つねに苦い胆(きも)を部屋の中に掛けて置き、それを嘗(な)めてはこの辱めを思い出すなど、非常な苦心を重ねて20年、みごとに夫差を破って名誉を回復した、と伝える『史記』「越世家」の故事による。

[田所義行]

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