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生没年不詳。中国、春秋時代末期の越(えつ)の大夫(たいふ)。楚(そ)の三戸(さんこ)の人と伝えられる。大夫種(しょう)(文種(ぶんしょう))とともに越に入り、勾践(こうせん)に仕えて重用された。紀元前494年、呉(ご)王の夫差に越が敗れてのち、苦心して時を待ち、前473年呉を滅ぼした。しかし范蠡は、覇者となった勾践のもとを辞して斉(せい)に去り、鴟夷子皮(しいしひ)と名のり、産業に努め巨富を築いた。斉の人は彼を宰相に推したが、「久しく尊名を受くるは不祥なり」と考え、資産を友人たちに分与し、交通の要衝、陶(とう)(山東省定陶県)に移住した。そこでふたたび巨富を築き、陶朱公と称した。彼は師である計然(けいぜん)の七策のうち五策で越王勾践を覇者とし、残りの二策で富を築き、在世中、三度住まいを移し、そのたびに名を表したと伝えられ、『范蠡計然』『陶朱公致富奇書』などの書名に名をとどめることになった。
[飯島和俊]
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…呉王の寵を得ると,西施はさまざまな難題を要求して呉国を疲弊させた。呉が越に滅ぼされたあと,もともと情を通じていた越の賢臣范蠡(はんれい)とともに五湖に舟を浮かべて行方知れずになったという。西施の事跡は,彼女がきぬを洗った浣紗渓(かんしやけい)(浙江省紹興の南,若邪渓(じやくやけい)とも)など,江南の風物と結びついて,歴代詩歌にうたわれることが多い。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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