コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

勾践 こうせん Gou-jian; Kou-chien

4件 の用語解説(勾践の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勾践
こうせん
Gou-jian; Kou-chien

[生]?
[没]貞定王5(前465)
中国,春秋時代の王 (在位前 497~465) 。父は越王允常。呉王闔閭 (こうりょ) の侵入を撃退しこれを傷死させたが,その子夫差のため前 494年大敗北し,屈辱的な講和を結んだ (会稽の恥) 。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

こうせん【勾践】

[?~前465]中国、春秋時代の王。会稽山(かいけいざん)の戦いで呉王夫差(ふさ)に敗れたが、復讐を誓い、忠臣范蠡(はんれい)と備えること20年、ついに呉を滅ぼした。→会稽(かいけい)の恥臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

こうせん【勾践】

?~前465) 中国、春秋時代の越の王。呉王闔閭こうりよを敗死させたが、その子夫差と会稽山かいけいざんに戦って敗れた。のち范蠡はんれいらの援助の下に富国強兵に努め、呉を滅ぼして覇者となった。 → 臥薪嘗胆がしんしようたん会稽の恥

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勾践
こうせん
(?―前467)

中国、春秋時代末の越(えつ)の王(在位前496~前467)。江蘇(こうそ)の大国呉(ご)の王闔閭(こうりょ)が、父允常(いんじょう)の死に乗じて攻め寄せたのを迎え撃ち、敗死させた。いわゆる臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の故事は、夫差(ふさ)と勾践が恥を忍び復讐(ふくしゅう)を成就させたことで有名。『十八史略』に「臥薪」を夫差、「嘗胆」を勾践の事績とするが、そもそも『左伝』に見える説話では、「臥薪」(の元の話)、「嘗胆」いずれも勾践の事績で、「坐臥のたびに胆を仰ぎ、飲食のたびに嘗胆する」であった。いずれにしても夫差はその恥を忘れず勾践を降伏させ、勾践もその恥を忘れなかった。勾践は文種(ぶんしょう)、范蠡(はんれい)を重用して富国強兵につとめ、夫差が中原に覇をとなえるべく黄池の会にでかけたすきを突いて、呉に攻め入った。夫差の意図は頓挫する。以後勾践は連年呉を攻め、前473年、夫差を自害させ呉を滅ぼした。そして勢いに乗じて北進し、斉(せい)、晋(しん)や諸侯と会盟して覇を唱えた。勾践はのちに五覇の一に数えられている。勾践の死後も、越は一定の勢力を維持し、楚(そ)の東進を防いでいたが、前329年、楚の威王に大破された。『戦国策』によると、前279年の時点で、楚の頃襄王(けいじょうおう)(在位前296~261)は越と5度戦い3度勝利して江蘇の越の本拠を滅ぼしたという。前3世紀初めごろの湖北省望山1号楚墓から越王勾践剣が出土するのも、この越地の攻略の際に越の墓が盗掘され、戦利品として持ち帰られたためらしい。[平勢隆郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

勾践の関連キーワードウル第3王朝バビロン第1王朝クセルクセス全・前・善・喘・漸・然・禅・禪・繕・膳・髯荘王フィリッポス句践タレントゥム前田町アルタクセルクセス[1世]

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone