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勾践 こうせんGou-jian; Kou-chien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勾践
こうせん
Gou-jian; Kou-chien

[生]?
[没]貞定王5(前465)
中国,春秋時代の王 (在位前 497~465) 。父は越王允常。呉王闔閭 (こうりょ) の侵入を撃退しこれを傷死させたが,その子夫差のため前 494年大敗北し,屈辱的な講和を結んだ (会稽の恥) 。復讐のため名臣范蠡 (はんれい) や大夫種らの努力で国力を強め,ついに前 473年夫差を破り自殺させた。やがて諸侯を徐州に会して盟主となり,覇王と号した。

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大辞林 第三版の解説

こうせん【勾践】

?~前465) 中国、春秋時代の越の王。呉王闔閭こうりよを敗死させたが、その子夫差と会稽山かいけいざんに戦って敗れた。のち范蠡はんれいらの援助の下に富国強兵に努め、呉を滅ぼして覇者となった。 → 臥薪嘗胆がしんしようたん会稽の恥

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勾践
こうせん
(?―前467)

中国、春秋時代末の越(えつ)の王(在位前496~前467)。江蘇(こうそ)の大国呉(ご)の王闔閭(こうりょ)が、父允常(いんじょう)の死に乗じて攻め寄せたのを迎え撃ち、敗死させた。いわゆる臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の故事は、夫差(ふさ)と勾践が恥を忍び復讐(ふくしゅう)を成就させたことで有名。『十八史略』に「臥薪」を夫差、「嘗胆」を勾践の事績とするが、そもそも『左伝』に見える説話では、「臥薪」(の元の話)、「嘗胆」いずれも勾践の事績で、「坐臥のたびに胆を仰ぎ、飲食のたびに嘗胆する」であった。いずれにしても夫差はその恥を忘れず勾践を降伏させ、勾践もその恥を忘れなかった。勾践は文種(ぶんしょう)、范蠡(はんれい)を重用して富国強兵につとめ、夫差が中原に覇をとなえるべく黄池の会にでかけたすきを突いて、呉に攻め入った。夫差の意図は頓挫する。以後勾践は連年呉を攻め、前473年、夫差を自害させ呉を滅ぼした。そして勢いに乗じて北進し、斉(せい)、晋(しん)や諸侯と会盟して覇を唱えた。勾践はのちに五覇の一に数えられている。勾践の死後も、越は一定の勢力を維持し、楚(そ)の東進を防いでいたが、前329年、楚の威王に大破された。『戦国策』によると、前279年の時点で、楚の頃襄王(けいじょうおう)(在位前296~261)は越と5度戦い3度勝利して江蘇の越の本拠を滅ぼしたという。前3世紀初めごろの湖北省望山1号楚墓から越王勾践剣が出土するのも、この越地の攻略の際に越の墓が盗掘され、戦利品として持ち帰られたためらしい。[平勢隆郎]

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