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穂積陳重 ほづみのぶしげ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

穂積陳重
ほづみのぶしげ

[生]安政3(1856).7.11. 宇和島
[没]1926.4.7. 東京
法学者。宇和島藩校から大学南校,開成校に学び,1876年イギリス,ドイツで法律学を学ぶ。 81年帰国,東京大学法科大学講師を経て,82年同大学教授,88年法学博士,90年貴族院議員。 1912年東京大学名誉教授,15年男爵を授与。帝国学士院会員 (のち院長) ,枢密顧問官 (のち枢密院議長) などの要職を歴任。日本法学にイギリス法学,ドイツ法学を継受し,その後の日本法学に大きな影響を与えるとともに,東京大学に法理学の講座を初めて開いた。 1893年法典調査会主査委員になり,富井政章梅謙次郎とともに現行民法起草にあたった。主著『法典論』 (1890) ,『法律進化論』 (1924~27) 。

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デジタル大辞泉の解説

ほづみ‐のぶしげ【穂積陳重】

[1856~1926]法学者。愛媛の生まれ。八束(やつか)の兄。重遠(しげとお)の父。東大教授。イギリス法を移入。法典調査会委員として民法を起草した。のち枢密院議長。著「法律進化論」など。

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百科事典マイペディアの解説

穂積陳重【ほづみのぶしげ】

法学者。伊予宇和島藩の人。英国ドイツに留学し,英国で弁護士の称号を受け,帰国後東大教授,枢密院議長。旧民法の施行に際して延期を主張し,その後梅謙次郎,富井政章とともに民法を起草。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

穂積陳重 ほづみ-のぶしげ

1856-1926 明治-大正時代の法学者。
安政3年7月11日生まれ。穂積八束(やつか)の兄。穂積重遠(しげとお)の父。イギリス,ドイツに留学後,明治15年東京大学教授となり法理学講座を開設。23年貴族院議員。26年法典調査会委員として,民法などの起草に参加。英・独法の移入につとめた。大正14年枢密院議長。大正15年4月7日死去。71歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。著作に「法律進化論」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

穂積陳重

没年:大正15.4.7(1926)
生年:安政3.7.11(1856.8.11)
明治大正期の法学者。四国宇和島藩(愛媛県)藩士穂積重樹の次男。大学南校,開成校に学び,明治9(1876)年より英独に留学,ロンドンのミドル・テンプルでバリスター(法廷弁護士)の称号を得,ベルリン大にも学び,14年帰国。東大法学部教授,法学部長として,加藤弘之東大綜理のドイツ法振興政策を推進,法理学,英法などを担当した。民法典論争には延期論の立場に立ち,26年設置された法典調査会委員として,梅謙次郎,富井政章と共に民法典を起草,その後も多くの立法に関与した。法学の諸領域にわたって開拓者の役割を果たし,民法はもとより,刑法,国際法,国際私法,法哲学,法史学,比較法,法人類学,監獄学などさまざまな領域で,初期の研究者たちの師である。法を進化的にとらえ,激変に反対したが,未来が自由主義的方向に進むことを不可避とみていた。天皇制のタブーを人類学的に解明し,乃木夫妻の殉死には批判的態度をとる。東大法学部の開明的な伝統は彼に負うところが多いと吉野作造はいう。23年第1回貴族院勅選議員となったが,25年辞任。大正5(1916)年枢密顧問官,14年3月副議長,同10月議長。また長く学士院長を務めた。憲法学者穂積八束の兄,家族法学者穂積重遠の父である。<著作>『法律進化論』全3巻<参考文献>穂積重行『明治一法学者の出発』

(長尾龍一)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほづみのぶしげ【穂積陳重】

1856‐1926(安政3‐大正15)
法学者。伊予(愛媛県)宇和島の人,八束の兄,重遠の父。1876年留学(おもにイギリス,ドイツ),81年帰国,東京帝国大学法科大学講師を経て,82年同教授となった。ドイツを中心とするヨーロッパ大陸の法制度・法学について造詣が深く,明治中期以降の日本におけるヨーロッパ法の継受に当たっても大きな役割を果たした。しかし,学者としての彼の本領はイギリス流の経験主義的学風にあった。とくにH.S.メーンの〈古代法論〉に傾倒し,その影響は未完の大作《法律進化論》などに表れている。

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大辞林 第三版の解説

ほづみのぶしげ【穂積陳重】

1856~1926) 法学者。八束の兄、重遠の父。愛媛県出身。東大教授。枢密院議長。イギリス流の経験主義的な学風を導入。法典調査会委員となり、民法・民事訴訟法・戸籍法など重要法案の編纂・起草に参与。著「法律進化論」「法窓夜話」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

穂積陳重
ほづみのぶしげ
(1856―1926)

法学者。八束(やつか)の兄、重遠(しげとお)の父。宇和島(愛媛県)藩士重樹の次男に生まれ、藩校を経て大学南校に学ぶ。1876年(明治9)イギリスおよびドイツに留学。帰国後、1881年東京大学法学部講師、1882年から1912年(大正1)まで東京大学ならびにそれが改組あるいは改称された帝国大学(1886~)および東京帝国大学(1897~)の教授。フランス法が盛んであった当時において、イギリス法・ドイツ法を移入し、創世期にあった日本の法学界に大きな影響を与えた。また、法理学講座の開設者としても有名。旧民法典を施行すべきか否かの法典論争においては、延期論を主張、同法典の延期後は、富井政章(まさあきら)、梅謙次郎とともに法典調査会の主査委員を務め、新たな民法典(現行民法典)の起草にあたった。晩年には枢密院議長をも務めた。著書に『法律進化論』(1924~1927)、『隠居論』(1891)、『五人組制度論』『五人組法規集』(ともに1921)などがある。[淡路剛久]
『『隠居論』(1978・日本経済評論社) ▽『法窓夜話』(岩波文庫)』

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