佐渡奉行所跡(読み)さどぶぎようしよあと

日本歴史地名大系 「佐渡奉行所跡」の解説

佐渡奉行所跡
さどぶぎようしよあと

[現在地名]相川町広間町

相川湾と市街地が眺望できる、町部のほぼ中心部の段丘上にある。現在跡地は町立相川中学校校地。慶長八年(一六〇三)大久保長安の命で鶴子つるし外山とやま(現佐和田町)にあった代官陣屋をここに移した。「佐渡年代記」慶長八年条に「字半田清水か窪と云田地を、持主山崎宗清と云ものより、価の金子五百両に買取て陣屋を築く。来春に至りて成就すと見えたり」と記し、完成を翌九年としている。北ににごり川、南は長坂ながさかの谷地、海に面した西方地獄じごく谷の急崖部で、三方を天然の要害とした舌状台地で、海路輸送されてくる諸財貨が陸揚げされる大間おおま港などの諸港を監視する位置にある。

長安が播州明石あかし(現兵庫県明石市)からよんだ大工の棟梁水田与左衛門に宛てた慶長八年の手紙(佐渡年代記)によると、構内数寄屋を造らせ、女部屋を通って数寄屋に至る道は廊下伝いとし、廊下は茅葺、下はとび石とし、庭には車井戸を仕掛け、座敷は小座敷にし、塀の内を広くとり、方々から風の入るようにせよ、などと造作や建家の配置に細かな心配りをしている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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