佐藤やい(読み)サトウ ヤイ

20世紀日本人名事典 「佐藤やい」の解説

佐藤 やい
サトウ ヤイ

大正・昭和期の医学者 東京女子医科大学教授・理事;日本女医会会長。



生年
明治31(1898)年5月26日

没年
昭和39(1964)年2月27日

出生地
富山県射水郡新湊町

旧姓(旧名)
安川

学歴〔年〕
東京女子医専(現・東京女子医科大学)〔大正12年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和12年〕

経歴
大正2年尋常高小卒業後、地元の看護婦となるが、4年上京して東京女子医専の事務所の書生となる。校長吉岡弥生に見込まれ、事務員の傍ら夜学に通い、12年同医専を卒業。母校助手助教授を経て、15年教授に就任。この間、7年ドイツに留学、フライブルク大学リウマチ研究をする。戦後、22年至誠会理事、東京女子医科大学理事、31年日本女医会副会長、33年国際女医会理事、34年日本女医会会長を歴任し、女医のリーダー的存在となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤やい」の解説

佐藤ヤイ さとう-ヤイ

1898-1964 昭和時代病理学者
明治31年5月26日生まれ。東京女子医専(現東京女子医大)の事務員となり,同校校長の吉岡弥生(やよい)にみとめられ,同校を卒業。ドイツに留学し,寒冷リウマチを研究。昭和15年東京女子医専教授。日本女医会長などをつとめた。昭和39年2月27日死去。65歳。富山県出身。旧姓は安川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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