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信仰自由宣言 しんこうじゆうせんげんDeclaration of Indulgence

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

信仰自由宣言
しんこうじゆうせんげん
Declaration of Indulgence

王政復古時代のイギリスで,王がカトリック勢力復活の意図から発した布告。全部で4回試みられた。 (1) 1662年 チャールズ2世非国教徒への迫害法の適用を免除する法を定めようと考え,議会にはかったが,議会はこれを拒否。 (2) 72年 チャールズ2世が,第3次イギリス=オランダ戦争の開始にあたり,国民の団結と支持を確保する手段として,国王大権により,非国教徒への刑罰法規の効力をすべて停止すると宣言。議会は猛反対を展開して王に宣言を取消させ,翌年カトリック勢力復活を阻止するため審査法を定めた。 (3) 87年 ジェームズ2世が発し,カトリック教徒,プロテスタントを問わず非国教徒に対する迫害的法律はすべて効力を停止し,彼らにも公然の礼拝を許す,というもの。 (4) 88年4月 前年の宣言が効果をあげなかったため,ジェームズ2世が,これを再確認するとともに,5月 20日と 27日の日曜日に教会の説教壇から信徒たちに読上げることを牧師たちに命じた。これは W.サンクロフトら指導的聖職者たちの反対を招き,七主教裁判事件を引起した。

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世界大百科事典内の信仰自由宣言の言及

【チャールズ[2世]】より

… 治世の初期には亡命中の顧問であったクラレンドン伯が国政を指導したが,財政は迫(ひつぱく)し,また復讐心に燃える騎士議会のピューリタン弾圧,第2次対オランダ戦争(1665‐67),ペストの大流行(1665),ロンドン大火(1666)と人心を動揺させる大事件がつづき,67年クラレンドン伯を解任して,後事を複数の顧問団(カバルCabal)にゆだねた。しかし国王は革命の教訓を忘れて従弟のフランス王ルイ14世の絶対主義体制の強化に憧れを寄せ,70年秘密裏に〈ドーバー条約〉を結び,多額の年金と引きかえにイギリスにおけるカトリックの復活を約し,72年〈信仰自由宣言〉を出した。議会はこの反動的風潮に態度を硬化し,〈信仰自由宣言〉を撤回させるとともに,〈審査法〉(1673),〈人身保護法〉(1679)をもって対抗し,さらに旧教徒の王弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)の即位を拒むため〈王位継承排除法案〉を上程した。…

【名誉革命】より

…国王はこの反乱に対して〈血の巡回裁判〉と呼ばれる極刑をもって臨み,議会を休会し,審査法を無視してカトリック教徒を文武の官吏に登用,ロンドン周辺には国民の嫌う常備軍を配置し,宗教裁判所を復活させた。さらに前王に引き続き87年と88年の再度にわたって〈信仰自由宣言〉を発した。この宣言は,信仰の自由の口実のもとにカトリックの復活を図ろうとするもので,しかも88年の宣言は教会における朗読が命じられた。…

※「信仰自由宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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