改訂新版 世界大百科事典 「非国教徒」の意味・わかりやすい解説
非国教徒 (ひこっきょうと)
イギリス史上,英国国教会(アングリカン・チャーチ)の慣行を遵奉しない新教徒をいう。本来の用語法としては,エリザベス1世によって確立された英国国教会の内部にとどまりながら,その礼拝式や教会統治方式などに賛同できず,国教会への遵奉を拒んだ新教徒を〈非遵奉派nonconformist〉と呼ぶ。また国教会から離脱して別個に信徒集団を組織し,国家と教会の分離を主張した新教徒を〈分離派separatist〉,さらに,名誉革命後の寛容法の制定(1689)によって国教会の外部での宗教結社の合法性を認められた新教徒を〈国教反対者dissenter〉と呼ぶ。しかし以上のうち,とくに第1と第3の用語の区別は厳密ではなく,日本では3者の総称として,非国教徒の語が一般に用いられる。16~17世紀に誕生した非国教徒には,長老派教会,会衆派教会(組合教会ともいう),バプティスト,クエーカー(基督友会)などがあり,そのうち長老派は非遵奉派,バプティストとクエーカーは分離派のタイプに属し,会衆派は二つのタイプの中間的な存在であった。18世紀以降には,あらたにメソディストやユニテリアンが加わった。
非国教徒は17世紀の初め以降,北アメリカ,とくにニューイングランド地方への植民の中核となり,イギリス本国ではピューリタン革命の主要な担い手となった。しかし,彼らは寛容法制定以後も社会的・政治的差別をこうむり,国会議員や地方自治体役職などの公職への就任を1828年まで禁止された(審査法,地方自治体法)。またオックスフォード,ケンブリッジ両大学への入学は19世紀半ばまで,学位取得や教職就任は71年まで,非国教徒には認められなかった。そのような差別が原因ともなって,非国教徒は都市市民層として産業界で活躍する場合が多く,また宗教・政治・社会上の自由を求めて,ホイッグ党,さらには自由党,労働党の有力な支持基盤を構成した。
→ピューリタン
執筆者:松浦 高嶺
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報