俵山村(読み)たわらやまむら

日本歴史地名大系 「俵山村」の解説

俵山村
たわらやまむら

[現在地名]長門市俵山

深川ふかわから南西の山地に入る赤間関あかまがせき街道(北道筋)に沿った山村で、北東は深川村、東は渋木しぶき村、北西日置へき(現大津郡日置町)久富ひさとみ村・河原かわら(現大津郡油谷町)、南は地吉じよし村・稲見いなみ(現豊浦郡豊田町)などに囲まれた大村。集落は木屋こや川とその支流である七重しちじゆう川・安田あんだ川・木津きつ川・黒川くろかわ川などの谷筋に点在する。前大津宰判に所属する。

俵山八幡宮所蔵文書に「補任藤原五郎右衛門尉 長門国俵山八幡大宮司職兵衛二郎事」とあり、正平一三年(一三五八)三月の年号を記す。応永二一年(一四一四)一〇月四日付の能満寺文書に「長門国大津郡深河庄俵山能満寺免田畠山野等事」とあり、深川庄の荘域に入っていたらしい。

戦国時代にはこの地に毛利氏の家臣入江氏の領地があったらしく、弘治三年(一五五七)七月一六日付の隆元判物(「閥閲録」所収入江七郎左衛門家文書)に「下 入江加賀守著親 可令早領知長門国大津郡俵山郷廿五石伊佐越中守先知行 同所十五石足阿野新四郎先知行 同所廿五石足伴田岩松先知行地事」とあり、永禄七年(一五六四)の文書によって、その地が村内の小野おの黒川木津であったことが知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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