倭館貿易(読み)わかんぼうえき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「倭館貿易」の意味・わかりやすい解説

倭館貿易
わかんぼうえき

15世紀中葉から19世紀中葉まで朝鮮の浦所(ほしょ)(入泊指定貿易港)に設けられた倭館で行われた貿易。朝鮮王朝(李氏(りし)朝鮮)の成立後、室町幕府との通交とともに貿易が行われていたが、世宗のころからしだいに統制が加えられた。1443年(嘉吉3)対馬(つしま)の宗(そう)氏は、幕府承認のうえで朝鮮との間に癸亥(きがい)約条を定め、歳遣船(さいけんせん)(使船の形式を備えた貿易船)として渡航する者だけに貿易が許可され、それも浦所・倭館における官営のものに限られることになった。1510年(永正7)朝鮮三浦(さんぽ)(薺浦(せいほ)、釜山(ふざん)浦、塩(えん)浦)における日本人の暴動(三浦の乱)が起こり、倭館は一時閉鎖され通交関係は動揺した。その後豊臣(とよとみ)秀吉による朝鮮出兵・侵略(文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役)により途絶した国交は、江戸幕府との間に1609年(慶長14)3月の己酉(きゆう)約条締結により回復し、釜山浦に倭館が設置された。そして対馬藩による朝鮮貿易と外交事務の独占という形で両国の通交関係が継続した。17世紀以降の貿易品は、対馬からの輸出品としては黒角(こくかく)(水牛角)、蘇木(そぼく)(丹木(たんぼく))、胡椒(こしょう)など東南アジア産物と、銅・鑞(ろう)(錫(すず))などの鉱産品があり、輸入品は米、木棉(もめん)、人参(にんじん)などであった。ほかに使船形式の贈答品として相互に高度の工芸品があった。

沼田 哲]

『中村栄孝著『日鮮関係史の研究』上下(1969・吉川弘文館)』

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