八尾村(読み)やおむら

日本歴史地名大系 「八尾村」の解説

八尾村
やおむら

[現在地名]八尾市ほん町一―七丁目・東本ひがしほん町一―五丁目・南本みなみほん町一―八丁目など

中世後期から江戸時代初期にかけての郷村若江郡に属する。長瀬ながせ川の右岸、南北に長く延びるかつての自然堤防と思われる微高地に立地。北辺を東西に八尾街道(立石街道)が通り、南北にも街道(のちの河内街道)が通ってこの街道沿いに南北に長く集落が形成される。このため長八尾ながやお村ともよばれ、八尾庄の称もあった。後述のように寛永五年(一六二八)村内の小村が分立独立するが、その後も八尾八ヵ村と総称された。元禄一六年(一七〇三)東郷とうごう村からの差上口上書(木村文書)に「元和元年より三年之間御下ケ札無御座候、元和五年未年より卯年迄九年之間は八尾庄一所之御下ケ札ニて御座候事」「寛永五辰年より八尾之庄小名付キ候て一ケ村々之御下ケ札東郷頂戴申候、外之村々は東郷村より写を遣、本文は東郷村に置候様に被為仰渡候由申伝候御事」とあり、寛永五年に八尾村の各小村名がつき、免状も分けられるようになったことが知られる。


八尾村
やおむら

[現在地名]田原本町大字八尾

寺川西岸、新町しんまち村の北に所在。永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録に「ヤヲ柳田城下郡西郷十四条二里十坪」と地名がみえる。また西大寺田園目録に「城下郡西郷十四条二里五坪内一段字檜垣庄内、池辺南口原東畔本」とある檜垣ひがい池辺いけのべ、宝治二年(一二四八)一一月六日の笠姉子遺領田地寄進状(東大寺文書)に同条同里一〇坪之内として記す柳田やなぎだの地名が現存する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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