八幡一郎(読み)ヤハタ イチロウ

20世紀日本人名事典 「八幡一郎」の解説

八幡 一郎
ヤハタ イチロウ

昭和期の考古学者 元・上智大学教授;元・東京教育大学教授。



生年
明治35(1902)年4月14日

没年
昭和62(1987)年10月26日

出生地
長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)

学歴〔年〕
東京帝国大学理学部人類学科選科〔大正13年〕卒

経歴
東京帝大理学部講師、文部省民族研究所員などを経て、昭和26年東京国立博物館学芸部考古課長、37〜41年東京教育大教授、41〜47年上智大教授。この間、40年日本学術会議会員。36〜45年日本考古学協会委員長もつとめ、登呂遺跡発掘の指導も行った。著書に「南洋文化雑考」「日本石器時代文化」「日本の石器」「日本史の黎明」「日本文化のあけぼの」「稲倉考」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八幡一郎」の意味・わかりやすい解説

八幡一郎
やわたいちろう

[生]1902.4.14. 長野,岡谷
[没]1987.10.26. 東京
考古学者。 1924年東京大学人類学科卒業。考古学と民族学境界学際的領域に独自の学風を築いた。研究分野はきわめて幅広く,日本の先史時代を中心に,アジアオセアニアなどの先史文化の解明に大きな業績を残している。日本国内はもとよりアジアの各地を調査し,多くの重要な発見をした。東京教育大学教授,上智大学教授などを歴任。多くの研究者を養成し,日本考古学協会委員長を8年間つとめ,考古学の発展に大いに貢献した。『八幡一郎著作集』 (6巻,1979~80) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八幡一郎」の解説

八幡一郎 やわた-いちろう

1902-1987 昭和時代の考古学者。
明治35年4月14日生まれ。東京国立博物館考古課長,東京教育大教授,上智大教授をつとめ,この間昭和36年から44年まで日本考古学協会委員長。長野県の考古学研究,登呂(とろ)遺跡の発掘などを指導した。昭和62年10月26日死去。85歳。長野県出身。東京帝大卒。著作に「稲倉考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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