八幡山城跡(読み)はちまんやまじようあと

日本歴史地名大系 「八幡山城跡」の解説

八幡山城跡
はちまんやまじようあと

[現在地名]三次市下志和地町

可愛(えの)川の東にそびえる明光(みようこう)山(三九三メートル)西南端の一角に築城され、南を流れる板木(いたき)川を天然の堀とする。比叡尾山(ひえびやま)城主三吉氏の支城。本丸を中心に西の尾根伝いに三段の郭を段階式に設け、本丸の後の郭には井戸跡が残る。その東の丘陵鞍部には二本の堀切を切って明光山山塊との間を遮り、城の前方と北部の斜面には幾本かの竪堀もみられ、近くには土居(どい)・牢屋敷(ろうやしき)・馬場(ばば)ヶ原(はら)などの地名が残る。


八幡山城跡
はちまんやまじようあと

[現在地名]柏原町柏原

現在の柏原八幡神社の地にあったといわれる城。明智光秀が丹波攻略の際、柏原八幡神社社殿を取壊して築いたというが、明確なことは不明。天正七年(一五七九)一〇月、吉田兼見は光秀を見舞うため普請中の「加伊原新城」に向かっている。城を訪れた兼見は下山の際光秀と面会し、その後在城する佐竹出羽守の「小屋」に一泊している(「兼見卿記」同七年一〇月一一日・一二日条)。「加伊原新城」は柏原の八幡山城と推定できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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