出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…武蔵七党の一つ児玉党の本拠地で,その流れをくむ庄,蛭川,阿佐美,塩谷,真下らの中世武士が周辺に割拠していた。文明年間(1469‐87)ごろ関東管領上杉顕定が現在の児玉町の地に雉岡(きじがおか)城(八幡山城)を築いて家臣の夏目氏をおいたが,のち小田原北条氏の支配に属し,北条氏邦の家臣横地氏が在城した。1590年(天正18)徳川家康の関東入国に際し,松平家清が八幡山城主となったが,1601年(慶長6)廃城となり,以後は旗本戸田氏の給地として陣屋がおかれた。…
※「八幡山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...