八田 一朗
ハッタ イチロウ
昭和期のレスリング選手,レスリング指導者 日本アマチュアレスリング協会会長;元・参院議員(自民党)。
- 生年
- 明治39(1906)年6月3日
- 没年
- 昭和58(1983)年4月15日
- 出生地
- 広島県江田島
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学政経学部〔昭和7年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和40年〕,勲二等瑞宝章〔昭和51年〕,オリンピック・オーダー(功労章)銀章〔昭和57年〕
- 経歴
- 学生時代に柔道からレスリングに転向し、昭和7年のロサンゼルス五輪に日本のレスリング選手として初出場。戦後25年から33年間日本アマレス協会会長。「ライオンとにらめっこ」「そるぞ!」など独得の選手強化法で戦後のレスリング黄金時代を築き、27年のヘルシンキ五輪以来、計16個の五輪金メダルを物にしたが、35年のローマ五輪で惨敗したときは、自らも丸坊主で帰国。40年には参院議員に当選し、スポーツ議員第1号となる。一方、俳句もよくし高浜虚子に師事し、30年「ホトトギス」同人。句集に「俳気」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
八田 一朗
ハッタ イチロウ
- 肩書
- 元・参院議員(自民党),日本アマチュアレスリング協会会長
- 生年月日
- 明治39年6月3日
- 出生地
- 広島県江田島
- 学歴
- 早稲田大学政経学部〔昭和7年〕卒
- 経歴
- 学生時代に柔道からレスリングに転向し、昭和7年のロサンゼルス五輪に日本のレスリング選手として初出場。戦後25年から33年間日本アマレス協会会長。「ライオンとにらめっこ」「そるぞ!」など独得の選手強化法で戦後のレスリング黄金時代を築き、27年のヘルシンキ五輪以来、計16個の五輪金メダルを物にしたが、35年のローマ五輪で惨敗したときは、自らも丸坊主で帰国。40年には参院議員に当選し、スポーツ議員第1号となる。一方、俳句もよくし高浜虚子に師事し、30年「ホトトギス」同人。句集に「俳気」がある。
- 受賞
- 藍綬褒章〔昭和40年〕 勲二等瑞宝章〔昭和51年〕 オリンピック・オーダー(功労章)銀章〔昭和57年〕
- 没年月日
- 昭和58年4月15日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
八田一朗
はったいちろう
[生]1906.6.3. 広島,江田島
[没]1983.4.15. 東京
日本のアマチュアレスリングの選手,指導者。日本アマチュアレスリング協会会長,参議院議員。 1932年早稲田大学卒業。同年,レスリング選手としてロサンゼルス・オリンピック競技大会に参加,フェザー級に出場した。以後指導者となり,1951~83年日本アマチュアレスリング協会会長を務めた。日本のアマチュアレスリングの育ての親といわれ,スパルタ式指導でも知られた。 1965年参議院議員当選。 1976年勲二等瑞宝章,1982年オリンピック・オーダー銀章受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
八田一朗 はった-いちろう
1906-1983 昭和時代のレスリング選手,指導者。
明治39年6月3日生まれ。昭和6年早大レスリング部を創設し,翌年第10回ロス五輪に出場。25年から33年間日本アマチュアレスリング協会会長をつとめ,スパルタ式訓練で日本レスリングの黄金時代をきずいた。40年参議院議員(自民党)。昭和58年4月15日死去。76歳。広島県出身。著作に「剃(そ)るぞ」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
八田 一朗 (はった いちろう)
生年月日:1906年6月3日
昭和時代のレスラー;政治家。日本アマチュアレスリング協会長;参議院議員
1983年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の八田一朗の言及
【レスリング】より
…同連盟はのちに国際レスリング連盟Fédération internationale des luttes associées(FILA)と改称,加盟国は97年現在135ヵ国にのぼる。 日本では1931年(昭和6),八田一朗らによってアメリカより導入され,早稲田大学に日本初のレスリングクラブが誕生した。日本人初のメダリストはこれに先立つ24年,第8回パリ・オリンピック大会にペンシルベニア大学(アメリカ)在学中の内藤克俊が単身で参加,フリースタイルのフェザー級で3位を獲得している。…
※「八田一朗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」