日本歴史地名大系 「八草村」の解説 八草村やくさむら 愛知県:豊田市石野・猿投・保見地区八草村[現在地名]豊田市八草町伊保(いぼ)川上流で市域の最北西端にあり、三河と尾張の国境でもあった。村域には、来姓(らいじよう)第一―一一号墳、松崎(まつざき)古墳など二七基以上の八草古窯跡群がある。この窯跡群は、来姓・荒山(あらやま)・丁田(ちようだ)・松崎・小江戸(こえど)・笹原(ささはら)の六支群に分れ、うち来姓三基・荒山四基・松崎一基の計八基は平安期のものである。一(いち)ノ坪(つぼ)という小字名があり、条里制遺構と想定される。 八草村やくさむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区八草村[現在地名]静岡市八草藁科(わらしな)川の支流崩野(くずれの)川の流域にあり、北東は崩野村。天正七年(一五七九)の江尻(えじり)城(現清水市)城主穴山信君の宿所普請が行われた時のことと思われるが、正月二〇日の駿府浅間社(静岡浅間神社)新宮昌忠の書状(旧駿府浅間神社社家大井文書)や三月一四日の新宮清通・奈吾屋清秋連署状(同文書)によると、武田氏が「八草」の藤左衛門に普請を命じ、郷中禰宜衆の動静を尋ねている。 八草村はつそうむら 岐阜県:揖斐郡坂内村八草村[現在地名]坂内村川上(かわかみ)川上村の南西、八草川筋にある。同川上流筋の八草峠を越えると近江に至る。川上村枝郷で、元禄郷帳には高一九石余とある。明治五年(一八七二)の村明細帳によれば畑一八石余・二町六反余、家数一三、男三七・女四六、牛二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by