兼見卿記(読み)かねみきょうき

改訂新版 世界大百科事典 「兼見卿記」の意味・わかりやすい解説

兼見卿記 (かねみきょうき)

吉田兼見(1535-1610)の日記。兼見は兼右の子で,初名兼和,1586年(天正14)兼見と改名。従二位神祇大副。吉田神道宗家として公武神事祈禱をつかさどり,織田信長豊臣秀吉らとも交渉があったため,その日記には神事関係以外にも政治情勢,社会,文芸など多方面の記事が含まれ安土桃山時代の重要史料である。1570年(元亀1)6月から92年(文禄1)(うち1574,88,89年を欠く)と1610年(慶長15)分が写本として残る。《史料纂集》所収
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「兼見卿記」の意味・わかりやすい解説

兼見卿記
かねみきょうき

安土桃山時代,神祇大副吉田兼見 (初名兼和) の日記。現在,元亀1 (1570) ~文禄1 (92) 年の記事が伝えられているが,途中闕失部分もある。そのほか若干の別記がある。兼見が吉田神道の宗家にある立場上,神事に関係する記述が大半であるが,織田信長,豊臣秀吉の動静をはじめとする中央政権の推移,各地へ旅行したときの紀行および世間見聞,さらには連歌能楽などの文芸関係にも及んでおり,この時代の重要な史料となっている。

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