内田栄一(読み)ウチダ エイイチ

20世紀日本人名事典 「内田栄一」の解説

内田 栄一
ウチダ エイイチ

昭和・平成期の劇作家,演出家,脚本家



生年
昭和5(1930)年7月31日

没年
平成6(1994)年3月27日

出生地
岡山市

学歴〔年〕
鎌倉アカデミア中退

経歴
安部公房師事し、昭和30年小説「浮浪」を「文芸」に発表してデビュー。37年第1戯曲表具師幸吉」を発表。発見の会、はみだし劇場、クスボリ共同隊、東京ザットマン、銀幕少年王ランニングシアターなど、アングラ演劇で劇作家・演出家として活躍。映画シナリオは藤田敏八の「妹」を皮切りに「バージンブルース」「スローブギにしてくれ」「海燕ジョーの奇跡」、若松孝二の「水のないプール」、流山児祥の「血風ロック」、神代辰己の「赤い帽子の女」など多数。平成3年8ミリ「きらい・じゃないよ」で映画初監督。4年劇場用映画「きらい・じゃないよ2」を発表。著書に評論「生理空間」、小説「クレヨンの夏」「コカコーラの秋」、戯曲集に「吠え王オホーツク」「聖・混乱出血鬼」などがある。


内田 栄一
ウチダ エイイチ

昭和期の声楽家(バリトン) 東邦音楽大名誉教授。



生年
明治34(1901)年3月25日

没年
昭和60(1985)年7月27日

出生地
京都

学歴〔年〕
東京音校本科〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲四等旭日小綬章〔昭和58年〕

経歴
昭和初期、オペラ研究団体「ヴォーカルフォア」を主宰藤原義江、田谷力三らと共に活躍。又「愛馬行進曲」などの軍歌を数多く歌ったが、戦後は長く「日本語の美しさを歌う独唱会」を続けた。東洋音校、自由学園、日大講師、東邦音大教授、上野学園大講師など歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「内田栄一」の解説

内田 栄一
ウチダ エイイチ


職業
声楽家

専門
バリトン

肩書
東邦音楽大名誉教授

生年月日
明治34年 3月25日

出生地
京都

学歴
東京音校本科〔大正14年〕卒

経歴
昭和初期、オペラ研究団体「ヴォーカルフォア」を主宰、藤原義江、田谷力三らと共に活躍。又「愛馬行進曲」などの軍歌を数多く歌ったが、戦後は長く「日本語の美しさを歌う独唱会」を続けた。東洋音校、自由学園、日大講師、東邦音大教授、上野学園大講師など歴任。

受賞
勲四等旭日小綬章〔昭和58年〕

没年月日
昭和60年 7月27日 (1985年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田栄一」の解説

内田栄一 うちだ-えいいち

1930-1994 昭和後期-平成時代の劇作家。
昭和5年7月31日生まれ。安部公房に師事。1960年代後半に劇団東京ザットマンなどを主宰し,アングラ演劇で活躍する。「吠え王オホーツク」など戯曲のほか,「スローなブギにしてくれ」など映画シナリオも手がけた。平成6年3月27日死去。63歳。岡山県出身。鎌倉アカデミア中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「内田栄一」の解説

内田 栄一 (うちだ えいいち)

生年月日:1930年7月31日
昭和時代;平成時代の劇作家;演出家
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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