内田正敏(読み)ウチダ マサトシ

20世紀日本人名事典 「内田正敏」の解説

内田 正敏
ウチダ マサトシ

明治期の海軍中将,男爵



生年
嘉永4年3月15日(1851年)

没年
大正11(1922)年5月11日

出生地
土佐国高知城下築屋敷(高知県)

経歴
土佐藩士の家に生まれる。苦学して上京後、慶応4年親兵隊に所属。明治4年海軍兵学寮に入り、11年少尉となる。19年から軍艦筑紫、金剛比叡の各副長を務め、比叡では23年の台風で沈没したトルコ軍艦の遭難将兵を本国まで送還、日本とトルコの親善に貢献した。その後、鳳翔、千代田、高砂八島の各艦長、呉、横須賀の各海兵団長を歴任。千代田を率いて日清戦争従軍し、軍功を立てた。33年少将に昇進し、佐世保海軍港務部長、常備艦隊司令官、呉海軍港務部長を経て、38年中将に累進。日清・日露戦争での功績によって男爵位を受け、43年貴院議員に勅選された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田正敏」の解説

内田正敏 うちだ-まさとし

1851-1922 明治時代軍人
嘉永(かえい)4年4月15日生まれ。明治11年海軍少尉。日清戦争では千代田艦長。常備艦隊司令官などをへて36年呉港務部長兼予備艦部長。38年中将。43年貴族院議員。大正11年5月11日死去。72歳。土佐(高知県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android