円提寺跡(読み)えんていじあと

日本歴史地名大系 「円提寺跡」の解説

円提寺跡
えんていじあと

[現在地名]井手町大字井手 上井手

京都府井手町の上井手集落南西約五〇〇メートルの路傍南側にあった寺。当寺跡と伝える土壇があり、付近にはドノウエ・薬師堂・大門などの地名もある。高台の景勝地で、眼下に井出町の石垣いしがき水無みずなし、さらに木津きづ川を隔てて西方に京都府田辺町が見渡せる。土壇はおよそ五メートル四方、高さ約一メートル。大正一二年(一九二三)三月に土壇周辺が調査され、礎石九個が確認された。すべて花崗岩製、様式は奈良時代前後のもので、いずれも火災に遭っていること、また古瓦も多数存在し、多く恭仁くに(現京都府加茂町)の瓦と一致し、奈良時代から平安時代初期のものであること、古銭に隆平永宝(延暦一五年鋳造)があること、古銭とともに海獣葡萄鏡一面出土したことなどから奈良時代創建の寺跡であることが証された。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔橘諸兄創建伝承〕

円提寺は井手寺(井堤寺)とも称され、橘諸兄が創建した氏寺と伝える。天平一二年(七四〇)五月一〇日聖武天皇が諸兄相楽さがなか別業に臨み、二泊三日の宴を開いたという「続日本紀」の記事をもとに、諸兄が母の一周忌にちなんで創建に着手し、この日落慶供養が行われたものであろうともいわれるが確かなことはわからない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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