分一徳政(読み)ぶいちとくせい

改訂新版 世界大百科事典 「分一徳政」の意味・わかりやすい解説

分一徳政 (ぶいちとくせい)

室町幕府発布した徳政令のうちで,債権額・債務額の5分の1ないし10分の1の分一銭幕府納入することを条件に,債権の確認または債務の破棄を認めたもの。室町幕府が発布した最初の徳政令は1441年(嘉吉1)のそれであるが,幕府の命令によって質物の返却が行われた結果,質物の員数を基準に賦課していた土倉役の納入が停止してしまった。この経験に鑑み,54年(享徳3)に徳政一揆が蜂起したときには,幕府は徳政禁制を出して容易には徳政令を発布しなかった。しかし一揆による略奪により土倉役が停止したことには変りはなく,一方では徳政令の発布を求める声は依然強かったので,債務額の10分の1を幕府に納入することを条件に徳政を認めることにした。ところが分一銭を納入する者は意外に少なかったので,翌55年(康正1)に至り,分一銭額を5分の1にするとともに,分一銭を納入すれば債権者にも債権確認を認めることとし,以後このような形が幕府徳政令の定型となった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「分一徳政」の意味・わかりやすい解説

分一徳政
ぶいちとくせい

室町幕府が享徳3 (1454) 年以後行なった徳政債務者から債務額の何分の1かの分一銭 (ぶいちせん) を上納させ,債務の破棄を認め,また債権者から分一銭を納めさせて,分一銭未納の債務者に対して債務を認めた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「分一徳政」の解説

分一徳政
ぶいちとくせい

室町時代の徳政
債権者・債務者のいずれか分一銭を幕府納入した側の権利を認める徳政令。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の分一徳政の言及

【徳政一揆】より

…京都に呼応した他の地方では,守護などの地方権力が徳政令を出し,また郷村単位に徳政を施行したところもあった。41年(嘉吉1)の嘉吉の土一揆のときには幕府の徳政令がかちとられたが,47年(文安4)には徳政禁制,54年(享徳3)は分一銭(ぶいちせん)(債務額の10分の1)を幕府に納めた者だけに認める分一徳政令,57年(長禄1)は逆に債権者に分一銭を納入させてその債権を保障する分一徳政禁制になった。土一揆参加者が幕府の徳政令から直接恩恵を被る可能性はますます小さくなったのである。…

※「分一徳政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android