初瀬村(読み)はせむら

日本歴史地名大系 「初瀬村」の解説

初瀬村
はせむら

[現在地名]桜井市大字初瀬

初瀬渓谷の東部、標高四五五・三メートルの与喜よき山西麓の長谷寺門前集落。隠口こもりく泊瀬はつせ泊瀬小国はつせおぐに小泊瀬おはつせ(万葉集)など、初瀬(長谷)の地名はあまりにも著名(→初瀬(長谷)長谷郷初瀬川。大和と伊賀・伊勢国を結ぶ伊勢街道の要衝(宿場町)に立地する。初瀬渓谷の最東端、始瀬はつせ果迫はつせの地域である。一に長谷村とも書く(長谷寺宛朱印状)

慶長郷帳では村高九六一石。うち六六一石は織田有楽(長益)領、三〇〇石は長谷寺領の相給村であった。元和七年(一六二一)織田長益の急逝で、長益領は幕府領となり、代官中坊長兵衛の増高や延宝検地により村高は長谷寺領を含め一一四四・二六八石に増加した。なお長谷寺領は豊臣秀長から三〇〇石の寄進が行われたが、江戸幕府も朱印領として三〇〇石を宛行っている。


初瀬村
はつせむら

[現在地名]檮原町初瀬本村はつせほんむら上折渡かみおりわたり下折渡しもおりわたり影野地かげのじ大野地おおのじ佐渡さわたり中久保なかくぼ家籠戸かろうと

越知面おちおも村に発する檮原川の中流域と、芳生野よしうの(現東津野村)に発する北川きたがわ川の下流域を占め、「土佐州郡志」には「東北限北川村、東南限松原村及中平村、西限予州吉田、西(北カ)限椅原村、西(南カ)限上山分、東西四里、南北二里」とある。天正一六年(一五八八)の津野初瀬村地検帳には中窪・大野地目ノ地・大野チかけ地・ヲリアタリ・藪ノ内・本村の地域名と、沢渡・中窪半・名本なもと・西・東の五名がみえ、地積は一三町六反余、ヤシキ四五筆で、このうち津野氏直轄地は一町二反余。同氏家臣津野監物は大野チかけ地に二町二反余の給地を有していた。

江戸時代には津野山つのやま郷九ヵ村の一で、当村には庄屋が置かれ、「土佐州郡志」によれば本村・中久保・左渡さわたり・大野地・下折渡・上折渡の諸集落からなっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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