前国分寺跡(読み)ちくぜんこくぶんじあと

日本歴史地名大系 「前国分寺跡」の解説

前国分寺跡
ちくぜんこくぶんじあと

[現在地名]太宰府市国分三―四丁目

四王寺しおうじ山から派生する台地南東にあり、大宰府政庁跡からは北西約二キロに位置する。国指定史跡。

天平一三年(七四一)聖武天皇は鎮護国家のため国ごとに僧寺と尼寺を建立するよう命じ(「続日本紀」同年三月二四日条)、筑前国の場合僧寺(国分寺、金光明四天王護国之寺)は大宰府政庁の北西に建てられた。ちなみにその西方に尼寺(国分尼寺、法華滅罪之寺)推定地があり、礎石一個が国分共同利用施設前に移されて現存している。延暦二〇年(八〇一)一月二〇日に四王しおう院における四天王悔過の法を停止して、四天王像・法物などが「筑前国金光明寺」に移され(弘仁一一年三月四日「大宰府牒案」堂本四郎氏旧蔵文書/平安遺文一〇、「類聚国史」延暦二〇年正月二〇日条)、大同二年(八〇七)一二月一日に再び仏像は四王院に戻されている(類聚国史)。天長五年(八二八)二月二八日には大宰府からの解に基づき、諸国の国分寺僧二〇口のうち五口は年齢二五歳以上の者を得度させて充てることと定めた太政官符(類聚三代格)が出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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