日本歴史地名大系 「前国分寺跡」の解説
前国分寺跡
ちくぜんこくぶんじあと
天平一三年(七四一)聖武天皇は鎮護国家のため国ごとに僧寺と尼寺を建立するよう命じ(「続日本紀」同年三月二四日条)、筑前国の場合僧寺(国分寺、金光明四天王護国之寺)は大宰府政庁の北西に建てられた。ちなみにその西方に尼寺(国分尼寺、法華滅罪之寺)の推定地があり、礎石一個が国分共同利用施設前に移されて現存している。延暦二〇年(八〇一)一月二〇日に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報