劉智渠(読み)リュウ チキョ

20世紀日本人名事典 「劉智渠」の解説

劉 智渠
リュウ チキョ
リュ/ズーチュイ*

07の兵士 花岡事件証人



国籍
中国

生年
1920年5月22日

没年
1999年2月4日

出生地
河北省

経歴
小学校卒後農業に従事し、17歳で人民解放義勇軍に入り抗日戦に参加。1944年4月日本軍の捕虜となり、石門、青島の捕虜収容所を経て、同年7月日本軍の“労工狩り”で強制連行された中国人労働者と共に日本に送られ、8月秋田県花岡町(現・大館市)の同和鉱業花岡鉱山にあった鹿島組花岡出張所の中山寮に収容。同寮の看護班に所属し、過酷な労働で次々死んでいく中国人の死体処理が主な仕事だった。’45年6月30日の中国人労働者800人による反乱蜂起(花岡事件)では病人を連れて逃げるがすぐ捕えられ、再び中山寮で働く。蜂起後も拷問による死者が相次いだ。戦後、日本人関係者を裁く花岡事件裁判の証人として日本に残る。’46年北海道に渡って商売を始めるが、’48年裁判の判決が出るまで証人として出頭口述をまとめた手記「花岡事件―日本に俘虜となった一中国人の手記」(’51年)は事件の全貌を最も早く伝えた貴重な書となった。北海道で中国料理の店を経営する傍ら、その後も中国人強制連行の解明・調査に協力した。中国人強制連行被害者協議会会長、札幌華僑総会会長などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「劉智渠」の解説

劉智渠 りゅう-ちきょ

1920-1999 中国の兵士。
1920年5月22日生まれ。八路軍にはいり,昭和19年日本軍の捕虜となる。秋田県花岡鉱山に連行され,看護班ではたらく。苛酷な処遇に抗して20年6月30日約800人の中国人労働者が蜂起した花岡事件にくわわる。戦後も日本にのこり,極東軍事裁判の証人となった。平成11年2月4日札幌で死去。80歳。河北省出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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