日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉雲山」の意味・わかりやすい解説
劉雲山
りゅううんざん / リウユンシャン
(1947― )
中国の政治家。山西省出身。胡錦濤(こきんとう)派とも江沢民(こうたくみん)派とも良好な関係にあり、習近平(しゅうきんぺい)政権発足後、習派にも急接近した。内モンゴル自治区集寧師範学校卒。教師を経て1975年に国営新華社記者となり、1982年に内モンゴル自治区の中国共産主義青年団(共青団)副書記となった。その後、1986年に内モンゴル自治区の党宣伝部長、1993年に党中央宣伝副部長、2002年から約10年間党内のもっとも重要なポストの一つ、中央宣伝部長を務めた。宣伝畑を約30年担当し、共産党のメディアの統制、インターネット検閲などの責任者であるため、知識人から批判されることも多かった。筆が立つことで知られ、1997年の香港(ホンコン)返還式典の江沢民国家主席の挨拶(あいさつ)など、重要な文章を多く執筆した。2012年秋の指導部人事で、党序列第5位の政治局常務委員となり、党中央書記処常務書記に任命された。2013年1月に共産党高級幹部の研修学校である中央党学校の校長に就任。保守派の色が強く、広東(カントン)省の新聞『南方週末』の社説改竄(かいざん)事件(2013年1月)など多くのメディア弾圧事件で陣頭指揮をとった。長男の劉楽飛は、大手投資ファンドの最高責任者を務めており、劉楽飛の妻の賈麗青(かれいせい)は、公安相や最高人民検察院検察長(検事総長)を務めた賈春旺(1938― )の娘。香港紙などに不正蓄財疑惑を伝えられたこともあった。
[矢板明夫]