勝覚寺(読み)しようかくじ

日本歴史地名大系 「勝覚寺」の解説

勝覚寺
しようかくじ

[現在地名]大内町三本松

古い町並の中心部に位置する。海暁山と号し、真宗興正派、本尊阿弥陀如来。寺伝によると天正一〇年(一五八二)阿波中富なかとみ川の合戦で討死した坂西ばんさい(現徳島県板野郡板野町)城主赤沢信濃守の一子正本が小砂こざれ村に小砂坊を建てたのに始まり、貞享元年(一六八四)三本松さんぼんまつ村に移って勝覚寺と称したという。はじめ阿波安楽あんらく(現徳島県美馬郡美馬町)末であったが、のちに高松安養あんよう寺末となり、宝暦七年(一七五七)京都興正こうしよう寺直末となった(大内町史)。「御領分中寺々由来」には蓮如筆名号を安置、元和年中(一六一五―二四)准如から下付された木仏の裏書を所持するとある。本堂は棟札によれば享保一一年(一七二六)建立


勝覚寺
しようかくじ

[現在地名]小千谷市時水 下村

下村しもむらにある。真宗大谷派、時水山と号し、本尊は阿弥陀如来。縁起によれば、かつて禅宗の吉祥きちじよう寺であったが、延徳二年(一四九〇)善知が古志こし村松むらまつ(現長岡市)の浄土真宗勝覚寺より当地に来て、断絶していた寺に一宇を建立し、勝覚寺としたという。時水ときみず城跡鬼門方角にあたる台地には吉祥寺跡があり、宝篋印塔や古銭が出土した。台地の隣の小丘上には吉祥寺の遺構の毘沙門堂がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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