歌舞伎作者。3世まである。(1)初世 河竹黙阿弥の前名。(2)2世 勝能進の前名。(3)3世(1844-1902・弘化1-明治35) 2世の子。江戸浅草に生まれる。幼名彦兵衛。3世瀬川如皐に入門し,1862年(文久2)浜彦助の名で初出勤。72年(明治5),勝彦助と改姓し,父のいる大阪の芝居へ出る。以後父とともに大阪の劇壇で活躍。78年に勝諺蔵を継ぎ,84年竹柴に改姓。86年,父の没後は角座を中心に中座,戎座(浪花座)の作者も兼ね,一方大阪の演劇改良会の一員ともなる。93年勝姓に復し東京に進出するが1900年帰阪。脳充血のため半身不随となり,やがて大阪で没。健筆家として知られ,父との合作を含め《二蓋笠柳生実記(にかいがさやぎゆうじつき)》など300余種が数えられる。明治の近代化に呼応した史実に基づく戦記物や新聞種の劇化,シェークスピアの《ベニスの商人》を脚色した《何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)》などのほか,坪内逍遥の《当世書生気質(とうせいしよせいかたぎ)》など小説の劇化が新派の小説劇化運動に影響を与えたとされる。
執筆者:古井戸 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(諏訪春雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…1854年(安政1)繁河長治の名で河原崎座に初出勤。57年(安政4)竹柴諺蔵,65年(慶応1)勝諺蔵と改める。師の作品の助筆を勤める一方で,同僚の竹柴濤治とともに,諺蔵,言彦,河流舎の名で1858年刊《江戸桜清水清玄(えどざくらきよみずせいげん)》など師の原作になる草双紙を書く。…
…後年の作の趣向の妙や世相人心の機微の把握と描写,音感に富むせりふの味などは,この遊蕩時代のたまものである。1835年(天保6)20歳のとき5世鶴屋南北に入門し,勝諺蔵(げんぞう)を名のった。以後病気や家庭の事情で何度か劇界を離れたが,41年江戸河原崎座へ出勤,柴(後に斯波)晋輔と改め,家督も弟にゆずって翌々年立作者となり,2世河竹新七を襲名。…
※「勝諺蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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