坪内逍遥の長編小説。1885年(明治18)6月~86年1月,17分冊で刊行。角書に〈一読三歎〉と冠する。私立学校の書生小町田粲爾(さんじ)とかつては小町田の義妹だった芸妓田の次との奇遇と恋愛を描いた人情本ふうの物語に,牛鍋屋,吉原遊廓,温泉など,開化の東京の遊楽地に出没する書生たちの風俗をスケッチした滑稽本ふうの挿話がからむ。上野戦争に遭遇した家族の離散と兄妹の再会というように古風な趣向もすくなくないが,《小説神髄》の模写理論を踏まえるかたちで,明治10年代の陽気で猥雑な書生の生態が活写されている。なお,小町田,田の次の恋愛には,逍遥と,後に夫人となる根津遊廓の遊女花紫との交情がうつされているといわれる。
執筆者:前田 愛
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坪内逍遙(しょうよう)の中編小説。「一読三歎(いちどくさんたん)」の角書(つのがき)がある。1885年(明治18)6月~86年1月、全17冊、2月合本2冊、晩青堂刊。著者名は春のやおぼろ。維新の上野戦争で家族と離れ、流離の始まった娘お芳(よし)が王子権現近くで、小町田浩爾(こうじ)・粲爾(さんじ)父子に拾われ、粲爾とともに育つ。芸者となったお芳と書生の粲爾が飛鳥(あすか)山に再会し、2人の愛の深まる過程で、父と兄の努力により親子再会の時がくる。作品の時間は、飛鳥山の再会に始まり主人公粲爾の現在を写しながら進展するが、彼の人情史は、お芳との出会いの時、再会の時、現在進行形の時と、三つの「時」を重ねて、成熟する。書生から紳士への成熟をたどる改良型人情小説という通説に加え、写実小説の深層に流離譚(たん)、因縁譚をもつ立体構造を見直す必要がある。
[中村 完]
『『明治文学全集16 坪内逍遙集』(1969・筑摩書房)』
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明治期の小説。春の屋おぼろ(坪内逍遥)著。1885~86年(明治18~19)晩青堂刊。逍遥が「小説神髄」で提唱した小説理論の実践を試みたもの。戊辰(ぼしん)戦争の際に生じた数奇な運命を縦糸に,私立学校の書生たちの生態を横糸に,小町田粲爾(さんじ)と芸者田の次(たのじ)の恋愛,田の次と守山友芳の兄妹再会の物語を主筋とする。人情本・滑稽本・読本などの江戸戯作の遺産を受け継ぎながら,それを克服しようとしたところに生硬な点がみられるが,勧善懲悪主義を排し,写実主義を唱導した先駆的作品。
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…明治維新後,遊学の自由化,私塾や専門学校の隆盛とともに,〈書生〉という呼び名が急速に普及した。坪内逍遥が《一読三歎 当世書生気質》を発表したのは1885年から86年にかけてであった。この小説が写実主義を標榜することができたのも,この当時東京,大阪などの大都市に学問を求める青年たちが集中し,一つの社会層を形成するようになったことのあらわれとみられる。…
※「当世書生気質」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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