日本大百科全書(ニッポニカ) 「北太平洋公海漁業条約」の意味・わかりやすい解説
北太平洋公海漁業条約
きたたいへいようこうかいぎょぎょうじょうやく
International Convention for High Seas Fisheries of the North Pacific Ocean
1952年(昭和27)5月9日署名、53年6月12日に発効した。日米加漁業条約ともいう。第二次世界大戦後の占領管理下の日本の漁業は、マッカーサー・ラインによって日本周辺海域に限定されていたが、対日講和条約発効直前の52年4月25日にこの制限が廃止され、一方、講和条約第9条は、日本に対し、公海漁業を規制・制限する協定を締結するための漁業交渉を関係連合国と開始することを義務づけた。アメリカとの間では、これより先、51年2月7日の吉田‐ダレス書簡で、漁業交渉の行われるまでの間、戦前に日本漁民が操業していなかった漁場で、かつアメリカによって保存措置がとられている所では日本漁民を出漁させないことを約し、その後、漁業交渉は、カナダを加えた3国間で51年末に東京で行われ、この条約が成立した。この条約は、北太平洋の漁業資源の最大の持続的生産性を確保するため、北太平洋漁業国際委員会を設置して、この委員会が科学的調査に基づいて決定する保存措置を締約国が実施することとしている。条約は、保存措置として、とくに、漁獲量の増加が期待できないなど一定の条件を満たすと委員会が決定する魚種について、過去25年間のいずれかの時期に漁獲実績のある国を除いて、自発的抑止の義務を負うこととし、条約付属書では、オヒョウ、ニシン、北米系サケ・マスについて、アメリカ、カナダ沖合いで日本が漁獲を抑止し、アメリカ、カナダがおのおの保存措置を実施し、西経175度以東のアメリカ沖の米系サケ・マスについては日本とカナダが抑止し、アメリカが保存措置をとることとした。アメリカとカナダが77年に200海里水域を実施したことに伴い、条約との不一致が生じたために、78年にこの条約を改正する議定書が作成された。サケ・マスなどの溯河(さっか)性魚種については、自発的抑止にかわり、禁止区域、区域別操業開始日、母船隻日(母船隻数×操業日数)による規制を行うこととなった。その後、北太平洋溯河性魚類系群保存条約の締結(1992年2月署名)により、日米加漁業条約は1993年2月に失効した。
[水上千之]