北本町(読み)きたほんまち

日本歴史地名大系 「北本町」の解説

北本町
きたほんまち

[現在地名]高砂市高砂町北本町

町場のほぼ中央部にある本町筋の北部に位置する。高砂町方二八町の一つ。元禄期(一六八八―一七〇四)の高砂町図(船津家蔵)によれば、町場の中央を南北に貫通する幹線道路沿いに小間物こまもの(のち横町と改称)材木ざいもく町角から北へ連なる町並。安永二年(一七七三)の棟数三五・竈数五八・店借三八、人数二六〇、うち田地持二四(「高砂町方明細帳写」船津家文書)

北本町
きたほんちよう

[現在地名]新庄市本町ほんまち

武家町から羽州街道への出入口である大手口より北、新庄城下の中心で、北端直角に西へ曲りよこ町へ続く。当町から茶屋ちやや町までが十日町とおかまち村分の町々である。延享三年(一七四六)の家数五九、宝暦一一年(一七六一)の家数七六、天明八年(一七八八)の家数六一・人数一一二、馬七、天保九年(一八三八)の家数六〇・人数二三三、馬五(新庄城下町の研究)。「新庄寿永軒見聞集」によれば、南本町とともに城下の中心で、両町を合せておお町ともいう。多くの店が賑々しく立並び、京都・江戸に肩を並べるほどの上手な染屋もおり、本道外科・眼医者もいた。

北本町
きたほんちよう

[現在地名]岩見沢北本町東きたほんちようひがし北本町西きたほんちようにし

もと町の北、幾春別いくしゆんべつ川に架かる狩野かりの橋を渡ったところに位置する。元町に次いで市街化した。明治一一年(一八七八)開拓使によって官営休泊所が設置された(岩見沢百年史)。昭和三一年(一九五六)発行の岩見沢市街案内地図などによると、狩野橋から北上する道路両側に商店街が形成され、西側に岩見沢北本町小学校(現緑町の第一小学校)と緑中学校、川向土功組合(現在西川町に移転)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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