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北条氏長 ほうじょう うじなが

美術人名辞典の解説

北条氏長

武将。北条流兵法の祖。初め氏永、安房守と称し氏繁の孫。将軍秀忠に仕えて町奉行を経て大監察となり従五位下に叙せらる。『雄鑑抄』・『士鑑要法』『兵法問答』等の著書がある。寛文10年(1670)歿、62才。

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デジタル大辞泉の解説

ほうじょう‐うじなが〔ホウデウうぢなが〕【北条氏長】

[1609~1670]江戸前期の旗本・軍学者。幕府大目付、安房守。北条流兵学の祖。後北条氏の出身で、軍学を小幡景憲(おばたかげのり)に学ぶ。オランダ流攻城法を学んだことや、江戸地図を作成したことでも知られる。著作に「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北条氏長 ほうじょう-うじなが

1609-1670 江戸時代前期の兵法家。
慶長14年生まれ。北条繁広の子。幕臣。鉄砲頭(がしら),持筒(もちづつ)頭をへて明暦元年大目付。甲州流の祖小幡景憲(おばた-かげのり)に兵学を,オランダ人から火砲による攻城法をまなび,北条流兵学を創始した。寛文10年5月29日死去。62歳。江戸出身。名はのち正房。通称は新蔵。著作に「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

北条氏長

没年:寛文10.5.29(1670.7.16)
生年:慶長14(1609)
江戸前期の幕府旗本,兵学者。北条流兵学の創始者。江戸に生まれ,幼名を梅千代,新蔵と称した。諱を氏長のち正房と改める。父繁広の母は氏康の娘。北条家嫡流が断絶したのち徳川氏に仕え秀忠,家光の側近となり,徒頭,鉄砲頭,持筒頭,新番頭を歴任する。承応2(1653)年従五位下安房守に任官し,明暦1(1655)年から寛文10(1670)年まで大目付の要職を務める。その間に甲州流兵学を小幡景憲より学び,また慶安3(1650)年8月6日牟礼野(東京都三鷹市)でオランダ人による臼砲の実演が催されたとき,砲手ユリアンからヨーロッパの攻城法を教わり西洋の兵学にも関心を持った。彼が創始した北条流兵学が観念よりも実学を重んじたのはこのオランダ兵学の思想が影響していると思われる。明暦の大火後には江戸地図作製の指揮をとり,このときの測量図はのちに「寛文江戸図」として出版されている。著述には『兵法雄鑑』『兵法雌鑑』『士鑑用法』『師鑑抄』などのほかに,最初の洋式兵学書というべき『由利安牟攻城伝』がある。<参考文献>有馬成甫『北条氏長とその兵学』

(所荘吉)

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大辞林 第三版の解説

ほうじょううじなが【北条氏長】

1609~1670) 江戸前期の旗本。北条流兵学の祖。小田原の後北条氏の裔。小姓組から累進し大目付。蘭人に兵学を学び軍制の体系化に尽力。著「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北条氏長
ほうじょううじなが
(1609―1670)

北条流兵学の祖、幕臣。通称新蔵、安房守(あわのかみ)を称した。6歳で初御目得(おめみえ)のころから兵書を読んだといい、1621年(元和7)13歳のとき甲州流兵学を志して小幡景憲(おばたかげのり)の門に入ったが、たちまち英才ぶりを発揮し、25年(寛永2)17歳で小姓組に列し、700石。35年27歳、3代将軍家光(いえみつ)の兵学師範となり、38年30歳で御徒頭(おかちがしら)に昇進した。このころから『師鑑抄(しかんしょう)』をはじめ『兵法雄鑑(へいほうゆうかん)』『士鑑(しかん)用法』『結要(けつよう)士鑑』などの著述を相次いでまとめ、天理の大星(たいせい)伝、人事の乙中甲(いっちゅうこう)伝、地理の分度伝を三大奧秘とした。50年(慶安3)牟礼野(むれの)(現、井の頭公園付近)におけるオランダ人の火砲射撃の実況を見学し、砲手ユリアンに推問した事項をまとめた『由利安牟攻城伝(ゆりあんぬこうじうでん)』を著し、いち早くオランダ兵法技術に着目、研究の端緒を開いた。53年(承応2)従(じゅ)五位下安房守に叙任し、55年(明暦1)47歳のとき大目付(おおめつけ)となり5000石を領した。[渡邉一郎]

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世界大百科事典内の北条氏長の言及

【軍学】より

小幡景憲は《甲陽軍鑑》を聖典として〈甲州流(武田流)〉を創始し,軍学を体系化した。その弟子北条氏長は中世的軍配を迷信として破棄し,軍法を合理的に大成して〈北条流〉を創始する一方,《士鑑用法》(1646)を著して軍学を武士の修養法とし,泰平における武士の存在価値を求めた。北条流において軍学の体系は完成したが,西洋のように政治学としての位置づけはなく,個人の道徳としての精神主義を濃くしていったのである。…

※「北条氏長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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