北条流兵学の祖、幕臣。通称新蔵、安房守(あわのかみ)を称した。6歳で初御目得(おめみえ)のころから兵書を読んだといい、1621年(元和7)13歳のとき甲州流兵学を志して小幡景憲(おばたかげのり)の門に入ったが、たちまち英才ぶりを発揮し、25年(寛永2)17歳で小姓組に列し、700石。35年27歳、3代将軍家光(いえみつ)の兵学師範となり、38年30歳で御徒頭(おかちがしら)に昇進した。このころから『師鑑抄(しかんしょう)』をはじめ『兵法雄鑑(へいほうゆうかん)』『士鑑(しかん)用法』『結要(けつよう)士鑑』などの著述を相次いでまとめ、天理の大星(たいせい)伝、人事の乙中甲(いっちゅうこう)伝、地理の分度伝を三大奧秘とした。50年(慶安3)牟礼野(むれの)(現、井の頭公園付近)におけるオランダ人の火砲射撃の実況を見学し、砲手ユリアンに推問した事項をまとめた『由利安牟攻城伝(ゆりあんぬこうじうでん)』を著し、いち早くオランダ兵法技術に着目、研究の端緒を開いた。53年(承応2)従(じゅ)五位下安房守に叙任し、55年(明暦1)47歳のとき大目付(おおめつけ)となり5000石を領した。
[渡邉一郎]
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…小幡景憲は《甲陽軍鑑》を聖典として〈甲州流(武田流)〉を創始し,軍学を体系化した。その弟子北条氏長は中世的軍配を迷信として破棄し,軍法を合理的に大成して〈北条流〉を創始する一方,《士鑑用法》(1646)を著して軍学を武士の修養法とし,泰平における武士の存在価値を求めた。北条流において軍学の体系は完成したが,西洋のように政治学としての位置づけはなく,個人の道徳としての精神主義を濃くしていったのである。…
※「北条氏長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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