兵学,兵法ともいう。軍学は一般に隊伍・兵器の配合,軍役の数などを論ずる軍法が中心と思われがちだが,その内容は,出陣・凱旋・首実検などの式を定める〈軍礼〉,武器の製法・製式を論ずる〈軍器〉,戦略・謀計を論ずる〈軍略〉,そして〈軍法〉,雲気・日取り・方角の吉凶を占う〈軍配〉に分けられ,その奥義は軍配とされる。中世より軍学は《七書》や〈八陣,遁甲〉など中国軍学の強い影響下に,仏教・道教など雑多な要素をもって形成され,軍配を中心とした《兵法秘術》(1354),《訓閲集》(1417),《兵術軍敗》(1503)などの著述があるが,実戦への影響は分明ではない。当時の合戦は一騎打ちの個人戦が基本であり,個人の武技・勇気が尊重され,集団戦は未発達であった。むしろ軍礼・軍器に相当する要素が,小笠原流・伊勢流など武家故実として礼法化されていった。戦国末から近世初期にかけては大規模な合戦が多く,統一権力の成立,武器の発達などにより集団戦の要素が加わったものの,戦闘法の基本はあくまでも一騎打ちであり,戦争も封建制の制約を超えるものではなかった。軍学の発達が最盛期を迎えるのは,その必要性が薄れた江戸初期からである。小幡景憲は《甲陽軍鑑》を聖典として〈甲州流(武田流)〉を創始し,軍学を体系化した。その弟子北条氏長は中世的軍配を迷信として破棄し,軍法を合理的に大成して〈北条流〉を創始する一方,《士鑑用法》(1646)を著して軍学を武士の修養法とし,泰平における武士の存在価値を求めた。北条流において軍学の体系は完成したが,西洋のように政治学としての位置づけはなく,個人の道徳としての精神主義を濃くしていったのである。氏長の弟子山鹿素行は〈山鹿流〉を唱えて軍学に儒学の精神を合わせ,武士の道徳〈士道〉を完成させた。その後,長沼流,楠流,越後流など多くの流派が生まれたが,用兵術としての軍学が無用となった時代において軍学は個人の修養が強調され,戦術などは源平以来の合戦をなぞらえるにすぎなかった。さらにこの部分は〈講談〉となって演芸化していったのである。のち〈高島流〉などが西洋兵学を摂取したものの,近世後期の外患による緊張,幕末・維新の動乱に軍学は対応できず,ほとんど無用な存在となった。明治以降,ヨーロッパの兵術が全面的に導入されると古来の軍学は消滅し,軍学の伝統は〈武士道〉精神の中に残った。
執筆者:根岸 茂夫
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…軍学,兵学のこと。〈用兵の法〉の略語で,兵はもと武器の意から転じて軍隊の意。…
※「軍学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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