北条郷(読み)ほうじようごう

日本歴史地名大系 「北条郷」の解説

北条郷
ほうじようごう

現北条町および倉吉市北東部一帯を占めたと考えられる中世の郷。天福元年(一二三三)五月、「久米北条郷」の地頭代が山城石清水いわしみず八幡宮領山田やまだ別宮の神輿神宝をかつぎ出して上洛し、よど(現京都市伏見区)の辺りに放置している(「石清水八幡宮寺申文」宮寺縁事抄)。建長元年(一二四九)一一月三日、当郷の地頭で幕府の連署であった北条重時は庄四郎を地頭代に任じている(「北条重時下文」長府毛利家文書)。正嘉二年(一二五八)一一月の東郷庄下地中分絵図には川(現在の天神川)を挟んで東郷とうごう庄の西に描かれており、当時は左岸にあった長瀬ながせ(現羽合町)も郷域に含まれていたことが知られる。


北条郷
ほうじようごう

中世の郷で、現加古川町大野かこがわちようおおの加古川町中津かこがわちようなかつ一帯に比定される。明徳二年(一三九一)九月二八日の西大寺末寺帳(極楽寺文書)には常楽じようらく寺に北条と肩書されているが、これは大野の常楽寺と思われる。康永二年(一三四三、応永二年の誤りか)五月二〇日、赤松義則印南いなみ庄内報恩ほうおん寺領北条などに殺生禁断を命じている(「赤松義則書下案」報恩寺文書、ただしこの文書には検討の余地がある)。永正一二年(一五一五)一一月五日、重則は北条郷中津村の大島重行から譲られた大窪の一段三〇代を常楽寺乗本房智慶に売却している(「重則下地売券」古文書纂所収文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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