日本大百科全書(ニッポニカ) 「北海道炭礦鉄道会社」の意味・わかりやすい解説
北海道炭礦鉄道会社
ほっかいどうたんこうてつどうがいしゃ
1889年(明治22)11月に設立された、石炭採掘と鉄道運輸を目的とする特権的保護会社。略称北炭。1881年の開拓使官有物払下げ事件以来、北海道の官業払下げは中止されていたが、86年の北海道庁設置を契機にふたたび活発化し、その中心が幌内(ほろない)炭鉱と幌内鉄道の払下げ問題であった。開拓使の開発した同炭鉱は、88年以降村田堤の北有(ほくゆう)社がその石炭販売権と鉄道運輸請負権を獲得していたが、前道庁第二部長、堀基(もとい)は政治力を発揮して北有社の権利を道庁に返還させ、永山武四郎(たけしろう)道庁長官らと計って設立した新会社(北炭)がその権利を継承することを画策した。89年11月、徳川義礼(よしあきら)、渋沢栄一(えいいち)らを発起人に、資本金650万円で設立された北炭の初代社長に堀が選任され、同社には多額の国費を投じた幌内炭鉱と幌内鉄道、および土地建物などの付属物件がきわめて廉価に払い下げられた。そのうえ、利子補給、国税免除、囚人貸与などの特権を得た北炭は、以後道内石炭業の中枢となった。なお同社は、93年北海道炭礦鉄道株式会社、1906年(明治39)鉄道国有化で北海道炭礦汽船株式会社と改称して、三井資本の系列に入り、現在に至る。
[桑原真人]
『北海道炭礦汽船株式会社編・刊『五十年史』(1939)』▽『北海道炭礦汽船株式会社編・刊『七十年史』(1958)』