日本歴史地名大系 「幌内炭鉱」の解説
幌内炭鉱
ほろないたんこう
石狩川水系
明治元年三笠幌内川上流で石炭の露頭が発見され(新北海道史)、米国地質学者B・S・ライマンや榎本武揚らによるイクシベツ、ホロムイ(ホルムイ)などの同六年以降の本格的調査を経て(「北海道巡廻日記」、「ケプロン報文」来曼北海道記事など)、開拓使により幌内煤田開採計画が立案された。「開拓使日誌」明治八年六月五日条に「ホロムヰ石炭山開採」の議とあって、「エヘツブト」(現江別市)から鉱山までは草木を伐り払い、道幅一間半ほどで人馬が通行できるよう仮に新道を開き、適宜休泊所を開設するとある。また「ケプロン報文」(来曼測量初期報文)には「幌向煤田ノ石層ハ、多分藍灰色ノ舎児ニシテ、所々ニ化石貝ヲ有セル石炭卵石ヲ含メリ」「幌向、煤田ハ幌向川源ニ近クシテ、札幌ヨリ東北東凡ソ二十七英里ノ所ニアリテ、甚ダ広大ナルベキ煤田ノ一部分タリ」とあり、同報文(モンロー煤炭報文)には「石狩国幌向煤炭」の調査結果が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報