嵯峨の屋お室(読み)サガノヤオムロ

デジタル大辞泉 「嵯峨の屋お室」の意味・読み・例文・類語

さがのや‐おむろ【嵯峨の屋お室】

[1863~1947]小説家詩人江戸の生まれ。本名、矢崎鎮四郎。坪内逍遥門下小説初恋」「くされ玉子」などのほかロシア文学翻訳発表

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「嵯峨の屋お室」の意味・わかりやすい解説

嵯峨の屋お室
さがのやおむろ
(1863―1947)

小説家、詩人。本名矢崎鎮四郎。別号北邙(ほくぼう)散士など。江戸・日本橋下総(しもうさ)関宿(せきやど)藩邸に生まれる。幼時維新の変動期にあって辛苦を尽くす。1876年(明治9)東京外国語学校(東京外国語大学の前身)露語科の給費生となり、81年二葉亭四迷(ふたばていしめい)を知る。卒業後、統計院に勤めるが失職、二葉亭の紹介で坪内逍遙(しょうよう)の門下生となる。87年、処女作『浮世人情守銭奴之肚(しまりみせのはら)』で作家として出発、『初恋』(1889)、『野末の菊』(1889)など浪漫(ろうまん)的作品のほか、小説論に『小説家の責任』(1889)などがある。詩人としては『抒情詩(じょじょうし)』(1897)に「いつ真て草」ほか9編を発表。またロシア文学の紹介者としても記憶される。

[尾形国治]

『『明治文学全集17 二葉亭四迷・嵯峨の屋おむろ集』(1971・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「嵯峨の屋お室」の意味・わかりやすい解説

嵯峨の屋お室【さがのやおむろ】

小説家。本名矢崎鎮四郎(しんしろう)。別号,北【ぼう】(ほくぼう)散士,探美など。江戸生れ。東京外語学校露語科卒。二葉亭四迷と交わり,坪内逍遥に師事した。《守銭奴の肚(しまりみせのはら)》《ひとよぎり》《初恋》などを著し,一時は尾崎紅葉と並び称されたが,晩年は振るわず文壇からも遠ざかった。
→関連項目都の花

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵯峨の屋お室」の解説

嵯峨の屋お室 さがのや-おむろ

1863-1947 明治時代の小説家,詩人。
文久3年1月12日生まれ。坪内逍遥(しょうよう)の門下。明治20年第1作「守銭奴之肚(しまりみせのはら)」を発表。のち「初恋」や詩「いつ真(ま)て草」9編などをかく。昭和22年10月26日死去。85歳。江戸出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。本名は矢崎鎮四郎(しんしろう)。別号に北邙(ほくぼう)散士。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「嵯峨の屋お室」の意味・わかりやすい解説

嵯峨の屋お室
さがのやおむろ

[生]文久3(1863).1.13. 江戸
[没]1947.10.25. 千葉,牛久
小説家,詩人。本名,矢崎鎮四郎。 1883年東京外国語学校露語科卒業。 1906年陸軍士官学校ロシア語教官。ツルゲーネフの影響が強い『初恋』 (1889) ,厭世的無常観を突きつめた小説『夢現境』 (91) などにより,明治期において懐疑を主観的に表白した最初の小説家となった。

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