日本大百科全書(ニッポニカ) 「北薩の屈曲」の意味・わかりやすい解説
北薩の屈曲
ほくさつのくっきょく
鹿児島県北西部北薩地方でみられる地層の著しい屈曲構造。西南日本弧に所属する秩父帯や四万十帯(しまんとたい)は、九州北部で北東―南西方向に延びているが、九州南部では南北方向となり、北北東―南南西方向に方向を変えながら、南西側の琉球(りゅうきゅう)弧まで延びている。鹿児島県の北薩地方では、四万十帯の地層が、東北東―西南西走向から南北走向まで90度近くも屈曲していることから、北薩の屈曲、あるいは北薩屈曲とよばれている。同様の四万十帯の屈曲は熊本県の人吉(ひとよし)屈曲、宮崎県の野尻(のじり)屈曲が知られており、四万十帯の付加コンプレックスは、この三つの屈曲で大きく走向を変化させていることになる。
北薩の屈曲などの九州南部の四万十帯の屈曲構造は、もともと、南北方向にほぼ直線的に延びていた四万十帯などが、西南日本弧が大きく時計回りに回転することによって形成され、結果的に背後に日本海が形成されたと考えられている。西南日本弧の時計回りの回転は、新生代の新第三紀中新世中ごろの1500万年前ごろであることが古地磁気による解析から明らかになっている。屈曲は褶曲(しゅうきょく)の一形態であり、北薩の屈曲や人吉の屈曲では、四万十帯の白亜系は円錐(えんすい)形褶曲となっていることが明らかにされている。北薩の屈曲の軸部には、1400万年前の紫尾山(しびさん)花崗岩(かこうがん)が貫入しており、この貫入の直前に形成された可能性が高い。しかしながら、断層の観察により、花崗岩貫入後も屈曲が進行した可能性が指摘されている。また、九州南部の古地磁気の研究から、200万年前から現在までにも九州南部の屈曲が進行した可能性が指摘されている。
[村田明広]