十三峠(読み)じゆうさんとうげ

日本歴史地名大系 「十三峠」の解説

十三峠
じゆうさんとうげ

河内国高安郡神立こうだち村と大和国平群へぐり福貴畑ふきはた(現奈良県生駒郡平群町)の間にある峠。十三越(十三街道)竜田たつた(竜田道)の峠。南北に走る生駒山地を東西に横切る多くの峠のなかの一つ。河内側の急峻な坂道を登ると十三峠で、そこから大和側の平群谷へはなだらかな下り道になる。現在、標高約四三〇メートルの峠の部分には、峠越え旧道と新道、それに信貴生駒スカイライン(自動車道)が峠のすぐ下を南北に走っている。峠の旧道に面して、「明和二酉歳七月二十四日、福(貴)畑・衆円」の銘のある地蔵尊が立つ。この横に、壊れた石の道標の断片二個が倒れている。その一つには「右 松尾道」とあり、峠の本道(竜田道)から分れて、大和郡山松尾まつお寺へ行く方向を示す。また近くに小寒さんの碑がある。これは天理教教祖の娘小寒が幕末にこの峠を越えて大坂布教にいったことから小寒さんを敬って建立された(昭和二七年建立)

峠のすぐ北の山(標高約四三五メートル)には十三塚がある。河内と大和の国境に位置する。中央の最も高い所に直径約六・五メートルの円形の塚があり、王塚という。これを中心に直径約四メートルの小塚が南に六個、北に六個と、南北に直線状に等間隔に並ぶ。


十三峠
じゆうさんとうげ

生駒山地南部、現大阪府八尾やお神立こうだちと平群町大字福貴畑ふきはたの間にある。標高約四三〇メートル。福貴畑から大字越木塚こしきづかを経て現斑鳩いかるが町大字竜田たつたに至る道を十三街道と称し、河内・大和を結ぶ道としてくらがり越と並ぶ商業通路であった。名は峠に一三の塚があることに由来するというが、平群谷・生駒谷には十三仏信仰が多いことも見のがせない。「春日社記録」中臣祐定記の嘉禎二年(一二三六)一〇月九日条に「御供用途可令運上路々事(中略)西路 大(ママ)路 亀瀬 信貴路 生馬越路 上津鳥見路」とある信貴しぎ路にあてる説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android