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十月維新 じゅうがついしん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

十月維新
じゅうがついしん

1972年 10月の大統領特別宣言に始る韓国の新体制。狭義には,非常戒厳令による2ヵ月間の憲法一部停止,国民投票による改憲,統一主体国民会議代議員選挙などによって同年末までに断行された,新体制構築のための一連の非常措置をいう。この措置は体制側による第2次クーデター的な色彩の濃いものであるが,その目的および背景は次の3点に要約できる。 (1) ニクソン訪中,日中国交正常化などの周辺国際情勢の変化 (緊張緩和-冷戦的国際秩序の崩壊) への迅速な対応,(2) 7月4日の南北共同声明以後本格化した,いわゆる「南北対話」推進のための国内的条件の整備,(3) 国際,国内情勢の変化に迅速に対応するための「民族主体勢力」 (維新勢力) の形成である。 10月 17日の特別宣言において,パク・チョンヒ (朴正煕) 大統領は非常戒厳令を伴う,(1) 国会解散,政党,政治活動の中止,(2) 非常国務会議による国会機能の代行,(3) 国民投票による憲法改正,(4) 新憲法による秩序回復の4項目の非常措置を断行,十月維新を開始した。その後,10月 27日には憲法改正案が公示され,翌月 21日の国民投票によって,これが成立した。新憲法の特徴は大統領権限の大幅な強化と「国民主権の受任機関」としての統一主体国民会議の設置にあり,国会の地位は相対的に大きく低下した。特に統一主体国民会議は,(1) 統一に関する重要政策の審議,決定,(2) 大統領の選出,(3) 国会議員総数の3分の1の選出,(4) 国会が発議,議決した憲法改正案の最終的議決などの重要な権限を保有するところとなり,韓国政治の新しい重大な要素として登場した。統一主体国民会議代議員選挙法に基づく同代議員選挙は,12月 15日に実施され,23日の初会議でパク・チョンヒが第8代大統領に選出され,一連の非常措置は幕を閉じた。なお,広義の十月維新は,このほかに,(1) 国力の培養の加速化と国力の組織化,(2) 平和的祖国統一のための民族主体勢力の強化,拡大,(3) 総力安保,(4) 韓国的民主主義の定立,(5) 国土と資源の総合的開発と祖国近代化,(6) 不条理,非能率,非生産性の一掃,などのスローガンに代表される韓国の新体制全般をさす。

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世界大百科事典内の十月維新の言及

【大韓民国】より

…朴政権は軍事面での対米依存という点で李政権の政策を継承し,ベトナム戦争に参戦する一方,経済面では李政権の反日政策から対日接近に転じ,65年には国内の反対運動を押しきって日韓条約を締結した。70年代初頭,米中接近という国際情勢の変動を要因として,南北赤十字会談および政権当事者間の対話が試みられ,72年7月4日に統一に向けた南北共同声明が発表されたが,その直後に朴政権は内外情勢の急変に対処するためと称して強権的政治体制を飛躍的に強化する〈十月維新体制〉(第4共和国)を成立させた。維新憲法によって,新設の統一主体国民会議(大統領選出母体で,2359名から成る)による大統領選出(1972年12月23日),大統領任期は6年で重任制限なしというように,政権永続化を保障する制度的基礎は一段と整えられたが,これに対して維新体制撤廃を求める民主化運動が盛りあがりをみせていった。…

【朴正熙】より

…67年に大統領に再選,69年3選禁止条項を改定,71年には野党の金大中を破って大統領に3選された。緊張緩和の世界情勢のなかで,72年7月南北朝鮮共同声明が発表されたが,国内の動揺をおさえるため10月には戒厳令をしいて国会を解散,憲法を改正して大統領の権限を強化し(4選禁止条項も消滅,任期を6年に延長),〈十月維新〉体制を実現した。同年,大統領に4選されたが,73年の金大中事件を契機に反朴・民主化運動が強まり,また77年の対米不正工作事件(コリアゲート事件)など国際的スキャンダルも生んだ。…

※「十月維新」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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