日本歴史地名大系 「千本城跡」の解説 千本城跡せんぼんじようあと 栃木県:芳賀郡茂木町町田村千本城跡[現在地名]茂木町町田標高約二四〇メートルの山頂・山腹に、本丸とこれに連結する郭塁を構えた戦国期の典型的な山城。県指定史跡。比高約一一〇メートル。須藤(すとう)城・教(きよう)ヶ岡(おか)城ともよばれる。城跡の範囲は東西約一二〇メートル・南北約三六〇メートル。城へは千本大門(せんぼんだいもん)からの大手の路、西方の赤石(あかいし)からの峰路、裏手東方尾軽(おがるい)からのきざはしの路の三つの路が開かれており、それらは南側で合流して大手口に至る。 千本城跡せんぼんじようあと 千葉県:君津市旧望陀郡地区千本村千本城跡[現在地名]君津市広岡字曲輪(くるわ)などの一帯に築かれた中世の城跡。長享二年(一四八八)里見義実の築城と伝えるが(北野神社社伝)、延命寺本里見氏系図(延命寺蔵)では千本住人として里見氏の部将東平氏の女がみえており、当城主の可能性があるという。天正六年(一五七八)里見氏の内紛に伴い千本城は反義頼方であったため攻撃を受け、落城した(同八年一一月「妙本寺日我書状」椙山文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by