日本歴史地名大系 「町田村」の解説
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
町田村
まちだむら
天正一六年(一五八八)の山田郷地検帳には町田村として三八筆が記され、大部分が矢野甚兵衛の給地。屋敷は七筆ですべて居屋敷とある。元禄地払帳によると本田高四八・七三九石、うち蔵入地は一石余で残りは二名の知行。新田高は五八・八四七石で貢物地四石余以外は三人の領知。寛保郷帳では家数一二、人数五六、牛四、馬六。物部川につくられた町田堰(野市上井堰)は、町田井口より対岸の下村
町田村
まちだむら
山田川の中流部に位置し、川は西隣の
江戸時代には和紙(大判紙・中尺半切)の産地として知られ、また江戸末期には
町田村
まちだむら
- 神奈川県:小田原市
- 町田村
西南境を
町田村
まちだむら
- 青森県:弘前市
- 町田村
弘前城下の西北にあり、北は
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「町田」とある。慶長一四年(一六〇九)の町田勝右衛門宛の津軽信枚黒印知行宛行状(八木橋文庫蔵)に村名がある。
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の
町田村
まちだむら
- 千葉県:市原市
- 町田村
町田村
まちだむら
- 埼玉県:深谷市
- 町田村
利根川右岸の自然堤防上に位置し、南は
町田村
まちだむら
- 秋田県:男鹿市
- 町田村
男鹿半島の北部、
享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)に当高五一石五斗三升九合とある。同一五年の「六郡郡邑記」によれば家数一一軒。
町田村
まちだむら
町田村
ちようだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報