知恵蔵 「南スーダン共和国」の解説
南スーダン共和国
独立までには、半世紀以上の闘争の歴史がある。1956年のスーダン独立後、政治の主導権を握ったのは、北部のアラブ系イスラム教徒だった。この時、イスラム支配の拡大を恐れた南部では、早くも分離独立を目指す武力抗争が起こった。第1次内戦の勃発である。72年、南部の自治権を認めた「アディスアベバ和平合意」によって、一時は停戦に至ったが、83年にヌメイリ政権がイスラム法(シャリーア)を全土に施行。この事実上の和平合意破棄に、南部の黒人キリスト教徒が反発し、内戦が再燃した。その後20年以上にわたり、政府軍と南部のスーダン人民解放軍(SPLA)との間で戦闘が続き、約200万人の死者、約400万人の避難民・難民を出した。
「忘れられた戦争」と呼ばれた長期の内戦に収束の兆しが見えたのは、今世紀に入ってからである。欧米諸国や周辺アフリカ諸国の「テロ支援国家スーダン」への圧力が強まり、政府はイスラム原理主義に基づく強権支配を緩和せざるを得なくなった。そして2005年、北部の連立政権を担う国民会議党(NCP)とスーダン人民解放運動(SPLM)の間で「南北包括和平合意(CPA)」が結ばれ、国連スーダン・ミッション(UNMIS)の監視下での暫定自治期間を経た後、南部自治政権の独立が認められることとなった。これによって、アフリカ最長の内戦が終わり、南スーダン共和国独立への道筋が整えられたのである。その後、11年1月に独立を問う住民投票が行われ、98%を超える圧倒的多数の支持で独立が決まった。初代大統領は、スーダン人民解放軍の幹部サルバ・キール氏。しかし、新生国家のかじ取りには、様々な課題が山積している。北のスーダンとは、国境に広がる油田地帯(アビエイ)の帰属、石油権益の分配、ナイル川の取水権などが未解決で、とりわけ国内に豊富な石油資源は紛争再燃の火だねにもなりかねない。内政では、難民の帰還受け入れ、農地の復興、インフラ整備の拡充、医療・教育の向上などが急務とされる。また、地雷除去や治安改善も課題で、南スーダンの加盟を承認した国連は、同日、国連平和維持活動(PKO)部隊の派遣を決議している。
(大迫秀樹 フリー編集者 / 2011年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報