南宮庄(読み)なんぐうのしよう

日本歴史地名大系 「南宮庄」の解説

南宮庄
なんぐうのしよう

現多賀城市南宮にあった庄園。留守氏の所領の一。文暦元年(一二三四)一一月二九日の関東下知状(留守文書)に「宮城郡南宮庄内荒野町」とみえ、この年七月留守家元から娘乙姫岩切いわきり(現仙台市)地頭職とともに相続、この時領知が認められた。この荒野七町は文永六年(一二六九)宮城尼(乙姫)から養子留守家政に譲られたが(建治二年閏三月一一日「将軍家政所下文」同文書)、一族内部で境相論が起きたらしく、文永一二年四月一三日付で岩城(切)分七町荒野絵図(同文書)が作成された。絵図はほぼ西を上にして描かれ、「田」七一が全面に書かれる。南側に二ヵ所「本田等」とみえ、南岸に樹木(柳か)の並ぶ溝が東西に蛇行する。中央部やや上に「岩切分荒野七町」と書かれ、北側に溝や畔が東西に直行する。この南北の溝状の二重線の西側に一方の堺を意味する溝状の二重線が描かれ、それらの交わる所に留守家広の花押が据えられている。画面中央やや下の部分に、草木で囲まれた「田」の文字の密に書かれた部分があり、排水路の溝が東側の沼に向かって直行する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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