南島村・本村(読み)みなみしまむら・ほんむら

日本歴史地名大系 「南島村・本村」の解説

南島村・本村
みなみしまむら・ほんむら

水田みずた庄内の村名。同庄の鎮守である水田天満宮が鎮座し、庄の中心であった水田に比定される。南島村と本村は並記されることがなく、同一地域をさしたものとみられる。年月日未詳の某書状(太宰府天満宮文書/筑後国水田荘・広川荘史料(九州荘園史料叢書)、以下断りのない限り同文書)および西高辻家系図(西高辻家蔵)によれば、水田庄に居住した善昇が同庄を三人の子息に譲り、そのうち本村二六町六反余を嫡子の大鳥居信証に譲与したという。康永三年(一三四四)一〇月二五日の大鳥居信高宛行状(南二)に「南嶋」とみえ、安楽寺(太宰府天満宮)領である北水田庄南島のうち北牟田きたむた犬江牟田いぬえむたが給分として大輔公に与えられている。大鳥居信高が水田庄経営にあたった頃、年月日未詳の水田庄南島村在家雑免坪付案(南五)のもととなった古帳注文が作成されたと思われる。この雑免坪付案と文安五年(一四四八)の水田庄田地坪付(天一三)によれば、南島村の田地はほぼ均等な二町五反内外の一八の百姓名と雑免田(一五町程度と推定され、一小在家あたり五反)、在家は一八の名主在家と三〇の小在家に再編成されており、名主と小在家とに階層分化がみられる。また例外はあるが名からは地料(屋敷銭)八二四文が徴収されていた。

天授二年(一三七六)に北水田本村にある老松おいまつ(現水田天満宮)の宮司職と定楽職に円宗坊喜幸が補任され、宮司給と定楽給として各一一町を与えられている(同年一〇月一三日「種次奉書写」南五)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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