南米サッカー(読み)なんべいさっかー

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南米サッカー」の意味・わかりやすい解説

南米サッカー
なんべいさっかー

ブラジルアルゼンチンに代表される南米サッカーの特徴は卓越したテクニック、ときにみられる強引な個人プレー、そしてそのプレーの激しさ・狡猾(こうかつ)さである。そうしたなかで、次々と若く将来性のある好プレーヤーを輩出している。ただ、有望な選手はすぐにヨーロッパのビッグクラブに引き抜かれる、という状況が定着している。

[西部謙司]

ブラジル

ワールドカップ全大会に出場している唯一の国であり、最多優勝5回を誇る。そのワールドカップでの活躍は1938年第3回フランス大会に始まった。「黒いダイヤモンド」と称され、バイシクルキックの創始者といわれるレオニダスLeônidas da Silva(1913―2004)が活躍、準決勝まで駒(こま)を進めたが、レオニダスを決勝に備えて温存する策が裏目に出て、イタリアに敗れた。1950年、20万人収容のマラカナン・スタジアムを建設し、満を持して臨んだ自国開催の大会では優勝候補の筆頭であった。ところが、決勝リーグ(トーナメント方式ではなかった)のウルグアイ戦で1対2と破れ、優勝をウルグアイにさらわれてしまう。1954年スイス大会は準々決勝で優勝候補のハンガリー対戦、3人の退場者を出し、2対4で敗退した。しかし、このころまでにブラジルは黒人選手の台頭によって南米随一の実力国となっていた。そして、1958年スウェーデン大会ではペレ、ガリンシャGarrincha(1933―1983)、ジジDidi(1928―2001)らが活躍して優勝、1962年チリ大会も連覇した。1970年メキシコ大会ではベテランとなったペレ、リベリーノRoberto Rivelino(1944― )、トスタンTostão(1947― )らが活躍し、すべての試合に勝って初の完全優勝を達成、三度目の栄冠に輝き、ジュール・リメ杯を永久保持することになった。その後、つねに優勝候補といわれながら結果を出すことができなかったが、1994年アメリカ大会は、ロマーリオRomário de Souza Faria(1966― )の活躍で四度目の優勝を果たした。2002年韓国/日本大会では前評判は高くなかったが、3Rとよばれたロナウド、ロナウジーニョRonaldinho(1980― )、リバウドの3人の活躍で五度目の優勝を遂げた。長年にわたり数多くの名選手を輩出し続けている、世界一のサッカー大国である。

[西部謙司]

アルゼンチン

第1回ワールドカップでは、決勝で開催国のウルグアイに敗れたが、当時、南米では随一の強豪でありワールドカップ優勝も時間の問題かと思われていた。しかし初優勝は1978年アルゼンチン大会まで待つことになった。この大会では監督セサル・ルイス・メノッティCésar Luis Menotti(1938―2024)に率いられたチームは、主将ダニエル・パサレラDaniel Passarella(1953― )を中心に、プレーメーカーのオズワルド・アルディレスOsvaldo Ardiles(1952― )、センターフォワードのレオポルド・ルーケLeopoldo Jacinto Luque(1949―2021)ら、国内リーグでプレーするプレーヤーで固められていた。唯一の例外だったスペインリーグのバレンシアに所属していたマリオ・ケンペスMario Alberto Kempes(1954― )が次々と貴重なゴールを決め、「エル・マタドール(闘牛士)」とよばれる力強いフットワークによるドリブルとシュートで、大会のヒーローとなった。1982年スペイン大会では、この優勝メンバーにディエゴ・マラドーナ、ラモン・ディアスRamón Diaz(1959― )が加わったが、二次リーグでイタリアとブラジルに敗れた。1986年メキシコ大会では、メノッティからかわった監督カルロス・ビラルドCarlos Bilardo(1939― )の下、キャプテンとなったマラドーナが驚異的なプレーの数々でチームを牽引(けんいん)し、二度目の優勝を果たした。コパ・アメリカの優勝は14回で最多、クラブレベルでもリベルタドーレス杯南米クラブ選手権で国内リーグ所属チームの合計優勝回数19と、ワールドカップ以外の戦績ではブラジルを上回っている。切れのある個人技と、激しさに組織力を加味したスタイルが特徴である。

[西部謙司]

ウルグアイ

南米の小国ウルグアイは、サッカーでは大国であった。第1回の自国開催のワールドカップに優勝(1930)しただけでなく、それ以前にも1924年オリンピック・パリ大会、1928年オリンピック・アムステルダム大会で続けて金メダルを獲得していた。ワールドカップは第2回、3回に不参加、復帰した1950年ブラジル大会で二度目の優勝を飾った。しかし、それ以降はブラジル、アルゼンチンに後れをとり、1970年メキシコ大会では久々に準決勝まで進んだものの、ブラジルに敗れた。コパ・アメリカでは14回の優勝を誇り、1990年代にも1995年にエンゾ・フランチェスコリEnzo Francescoli(1961― )を中心にした代表チームが、前年のワールドカップで優勝したブラジルを降して優勝している。しかし近年のワールドカップでの活躍はない。プレースタイルは堅守速攻である。

[西部謙司]

その後の動き

アルゼンチンは、2003年と2007年にボカ・ジュニアーズがリベルタドーレスで優勝し、優勝回数を21回としている。

[編集部]

『クリストファー・ヒルトン、イアン・コール著、野間けい子訳『南米サッカーのすべて』改訂新版(2002・DAI-X出版)』

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