メノッティ(読み)めのってぃ(その他表記)Gian Carlo Menotti

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メノッティ」の意味・わかりやすい解説

メノッティ
めのってぃ
Gian Carlo Menotti
(1911―2007)

イタリア生まれの作曲家。ミラノ音楽院で学んだのち、1928年から33年までフィラデルフィアのカーチス音楽院に移り、それ以降はアメリカに居を構える。カーチス音楽院時代には、作曲家サミュエル・バーバーと親交が始まり、アメリカ作曲界の主流に認められるきっかけとなった。19世紀イタリアのベリズモ(真実主義)のオペラを引き継ぐ、保守的な作風で幅広い観客を得た。1991年『ミュージカル・アメリカ』誌によって「ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたことは、彼の人気を証明する。1958年以来、中部イタリアスポレートで「二つの世界音楽祭」を主催し、両大陸の舞台音楽の交流を図った。

 作品の特徴は、イタリア・オペラの歌の長い伝統と、アメリカ的で現代的な題材の組合せにある。交響曲ピアノ協奏曲、合唱曲、カンタータも残しているが、本領はオペラ、それも小規模なオペラにあり、演出家としての側面もある。11歳のときに作曲した最初のオペラ『ピエロの死』以来、すべての台本を自分で書いているが、そのために極端に文学的になることはない。難解な現代オペラよりもミュージカルに近い。

 1937年初演の一幕オペラ・ブッファ『アメリア舞踏会へ行く』の成功によりNBC放送よりラジオ・オペラの委嘱を受け、『泥棒とオールドミス』を放送初演。46年に現代アメリカ音楽祭で初演された二幕のオペラ『霊媒』、その幕前劇として発表された『電話』は代表作、20世紀オペラの数少ない標準レパートリーとして何度も上演・録音されている。悲劇としては『領事』(1950初演、同年ピュリッツァー賞ニューヨークドラマ批評家賞受賞)に本領が発揮されている。喜劇には、51年にクリスマスのテレビ・オペラとしてNBC放送より委嘱された『アマールと夜の訪問者』がある。子供向けのオペラとしては『冥王星(めいおうせい)からの花嫁』(1963)、『助けて、助けて、宇宙人がやってくる』(1968)がある。このほか声楽曲に、1995年のノーベル平和賞を祝うミサ曲の一部を担当した合唱曲『グローリア』があげられる。

[細川周平]

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改訂新版 世界大百科事典 「メノッティ」の意味・わかりやすい解説

メノッティ
Gian Carlo Menotti
生没年:1911-2007

イタリアの作曲家。ミラノ付近の富裕な家庭に生まれ,12歳でミラノ音楽院に入学したが,トスカニーニの勧めで16歳のとき渡米,1927-33年フィラデルフィアのカーティス音楽院で作曲を学んだ。以来,アメリカで作曲活動を行ってきた。23歳のときに書いた処女作《アメリア舞踏会へ行く》はイタリア的なオペラ・ブッファであるが,39年にNBC放送のために書いたラジオ・オペラ《泥棒とオールドミス》以来自ら英語で台本を執筆し,舞台を現代のアメリカにとることによって,オペラを大衆に近づけることに成功した。第2次大戦後,現代社会の虚構をついた《霊媒》(1946),電話をめぐるコミカルな《電話》(1947),全体主義体制における亡命者の苦境を扱った《領事》(1950),テレビ・オペラ《アマールと夜の訪問者Amahl and the Night Visitors》(1951)などによって,オペラ作曲家としてまれにみる成功を収めた。《アマールと夜の訪問者》はクリスマスに必ず上演・放映されるほどで,アメリカでは最も数多く作品の上演されるオペラ作曲家である。現代人にアピールする題材を劇的な効果と親しみやすい流麗な旋律によってまとめ上げる手腕は非凡である。58年,イタリアのスポレトに〈二つの世界のフェスティバル〉を創設した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メノッティ」の意味・わかりやすい解説

メノッティ
Menotti, Gian Carlo

[生]1911.7.7. イタリア,カデリアーノ
[没]2007.2.1. モナコ
イタリアの作曲家。 11歳で最初のオペラを作曲し,ミラノ音楽院に学ぶ。 1920年代後半にアメリカ合衆国に移住,1928年アルトゥーロ・トスカニーニの勧めでフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学,ロザリオ・スカレロに師事する。オペラ『アメリア舞踏会へ行く』 Amelia al Ballo (1937) で大成功を収め,その後次々と作品を発表。 1952~55年カーティス音楽院の作曲・音楽理論の主任教授。 1958年イタリアのスポレトでオペラ,音楽,演劇のための「二つの世界フェスティバル」を創設,1977年アメリカのサウスカロライナ州チャールストンにも同フェスティバルを設立。作品にはオペラ,バレエ音楽,協奏曲,交響詩などがあり,特にオペラはみずから台本を書き,保守的な作風を得意としたが,ときには不協和音や多調性を融合させた。主作品はオペラ『霊媒』 The Medium (1946,1951映画化) ,『電話』 The Telephone (1946) ,ピュリッツァー賞を受けた『領事』 The Consul (1950) ,テレビ・オペラ『アマールと夜の訪問者』 Amahl and the Night Visitors (1951) など。 1984年ジョン・F・ケネディ・センター名誉賞を受賞。

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百科事典マイペディア 「メノッティ」の意味・わかりやすい解説

メノッティ

イタリア出身の米国の作曲家。イタリア北部マジョーレ湖近くのカデリアーノに生まれ,幼児から並外れた楽才を示す。12歳でミラノ音楽院に入学し,16歳のときニューヨークで活躍中のトスカニーニの勧めで渡米。カーティス音楽院に学び1940年−1950年同校作曲科教授。1937年,オペラ処女作《アメリカ舞踏会へ行く》を23歳で発表。翌年のメトロポリタン歌劇場での公演が絶賛を博し,以後現代を舞台にした数多くのオペラで人気を得た。自らオペラの台本も書き,のちには演出も手がけている。代表作に《電話》(1947年),《領事》(1950年),テレビ・オペラ《アマールと夜の訪問者》(1951年)など。バレエ曲,協奏曲などもある。→バーバー

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「メノッティ」の解説

メノッティ

イタリア出身のアメリカ合衆国の作曲家。1945年に《ピアノ協奏曲》を作曲している。ミラノのヴェルディ音楽院に入学した12歳の時に、最初のオペラを作曲している。その後渡米し、アメリカのカーティス音楽学 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

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