原之郷(読み)はらのごう

日本歴史地名大系 「原之郷」の解説

原之郷
はらのごう

[現在地名]富士見村原之郷

赤城山の南西麓、横室よこむろ村の南東に位置し、こまざわ川を境とする。天正一〇年(一五八二)厩橋(前橋)城に拠り当地辺りにも勢力を張っていた北条氏は織田信長の臣滝川一益の支配下に入ったが、同年四月、「原中尾之郷」を本領として安堵されるとともに、郷内の五貫五〇〇文を鉄炮打二名の職給として与えられている(同年四月日「滝川一益安堵状」「滝川一益宛行状」北条文書)。同年六月の本能寺の変後、滝川氏は小田原北条氏に攻められ、小田原北条氏の勢力が上野に広く浸透するが、その過程で「喜多(北)条長門入道」は小田原北条氏に荷担、沼田表での戦闘参加の賞として「原中尾郷」を与えられている(同年閏一二月二四日「北条氏直判物」同文書)

寛文郷帳によると田方四七二石余・畑方一五二石余、前橋藩領。


原之郷
はらのごう

[現在地名]真田町大字本原もとはら

小県郡北東部の烏帽子えぼし岳西麓と、かん川中流東岸の間に広がる一帯の地域。東は烏帽子岳を隔てて東田沢ひがしたざわ(現東部町)、西は神川を隔てて伊勢山いせやま(現上田市)、南は赤坂あかさか(現上田市)、北は真田村・横尾よこお村と境をなす。村の西方を南北に上州道(現国道一四四号)、村の中央を南北に松代道が通っている。

元和八年(一六二二)一二月八日幕府代官高室昌成が、上田城主仙石忠政に交付した小県郡上田領河中島残物共高石帳(仙石文書)に「六百三拾壱貫六百四拾文、一高千五百六拾石壱斗六升七合 原之郷」とある。

鎌倉後期、真田氏が東北にあたる地に居館を構えたと伝えられ、この居館跡地を「御屋敷おやしき」とよぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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