原山支石墓群(読み)はらやましせきぼぐん

日本歴史地名大系 「原山支石墓群」の解説

原山支石墓群
はらやましせきぼぐん

[現在地名]北有馬町坂上下名 新田・原ノ尻川

雲仙うんぜん岳の南の丘陵上にある縄文時代晩期の埋葬遺跡。国指定史跡。昭和二八年(一九五三)・同三一年・同三五年・同三六年・同五四年・平成八年(一九九六)に発掘調査。墓域は三群で、第一支石墓群(A地点)が第二次世界大戦後の開拓消滅、第二群(B地点)は六基が現存、第三群は五四基が確認された。支石墓の下部構造は箱式石棺墓・楕円形石囲墓・楕円形土坑墓・甕棺墓があり、明確な支石をもたないものもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「原山支石墓群」の解説

はらやましせきぼぐん【原山支石墓群】


長崎県島原市北有馬町にある墓群跡。島原半島西南部、雲仙岳から連なる標高約250mの高原地帯に所在する。縄文時代晩期の共同墓地で、昭和30年代に一部で発掘調査が実施され、1972年(昭和47)に国の史跡に指定された。一般に原山ドルメンとも呼ばれている。60基余りの支石墓は、数個の支石の上に安山岩の蓋石をのせ、その下に箱式石棺甕棺(かめかん)または土坑墓を設けたもので、箱式石棺は長さ1m前後、幅50cmほどのものが多い。支石墓の約半数では蓋石の下に副葬品として縄文時代晩期に属する土器や石包丁を置いており、土器に籾(もみ)の押し形のついたものがあった。弥生土器はまったくないことから、縄文文化の伝統のなかで生活した人々の墓制に朝鮮半島からの影響が明らかに表れているとされる。日本国内の支石墓遺跡としては最古最大級のもので、支石墓群の一部は原山農村公園として整備されている。JR長崎本線諫早(いさはや)駅から島原鉄道バス「原山ドルメン」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android